見出し画像

自分の命を託すひと_がんサバイバーの経験則

全身麻酔での手術。私は2回経験したけれど、経験すると死ぬってこういう感じなんだなと思う。

眠りとは全く違う感覚。麻酔をされると意識が完全に遮断され、次の瞬間には目が覚めて、その時にはすべてが終わっている。

最初は顔に出来た腫瘍を検査するために摘出する手術。部分麻酔でもできるけれど、顔面神経が近いので万一を考えてと言うことで全身麻酔での手術となった。悪性腫瘍だったので、2回目の手術でその顔面神経も含めてごっそりとられてしまったけれど。

その時摘出した腫瘍を手術の後に見せてもらった。丸い塊で飴玉くらいの大きさだった。自分のがんの腫瘍を見せてもらった人はなかなかいないかもしれない。

検査の結果悪性腫瘍と言うことで、もっと大規模に除去する手術と化学療法を行うことになった。検査をした職場近くの大学病院から実家近くのがんセンターに転院して手術と治療をうけることになったのだけれど、転院するときにレントゲンやらカルテやら自分の腫瘍やら一切を渡されて、自分で次の病院に持って行った。病院間の連携なんてないし、大学病院にしてみれば、私は自分たちを信頼せずに出ていく患者なので、出ていくなら勝手にどうぞと言う感じだった。今はセカンドオピニオンについての理解も進んでいてそんなこともないのだろうと思うが、少なくとも20年前の私は、そんな経験をした。

2回目の手術はもっと大がかり。腫瘍のあった場所を中心に、顔の少なからぬ範囲を除去する。一緒に顔面神経もとってしまうことになり、代わりに左腕の神経を腕の皮膚と肉ごと移植する。そうすると左腕の皮膚がなくなるので、左足の付け根の皮膚を移植する。書き起こすだけでもなかなか大変な手術だ。実際に執刀するのはさぞかし大変だっただろう。

手術は10時間を超すような手術になるということで朝早くスタートした。裸に手術用の手術衣を着てストレッチャーに乗せられ手術室へ。両親と親戚と彼女がお見送り。大阪から来てくれた彼女はそのまま10時間以上病院で待たせるのもかわいそうなので、夕方までどこかで遊んでもどってく来るように伝えた。手術は大掛かりだけれど、命にかかわるような部位ではない。

手術室に入ると麻酔医の人に酸素マスクと付けられて、あっという間に記憶を失う。

・・・気が付いた時はもうすべてが終わっていて、顔も腕も包帯でぐるぐる巻き。病室に戻った時は部屋が真っ暗だった記憶があるのだけれど、麻酔で周りが暗く感じていたのか本当に暗かったのかわからない。両親と親戚のおじさんおばさんと彼女がいた。とにかく気持ち悪い。吐きたいけれど包帯ぐるぐるで顔がまともに動かせない。顔に腕の皮膚とか神経とかを移植したばかりなので動かしていいかわからず、とにかく苦しかった。苦しがっている私を見ておばさんが泣いているのがみえたけれど、うちの両親は毅然きぜんとしていたのが印象的だった。彼女がどうしていたかは覚えていない。

それからしばらくの間はとにかく左手が痛い。神経を切られたからだとおもうけれど、痛くて夜も寝られない日が何日も続く。顔も痛かったはずだけれど、腕の痛みしか印象にないくらい強烈に痛かった。


そんな大がかりな手術をしてもうすぐ20年。
顔面神経はつないでくれたけれど、もちろん前のようには動かない。でも口が閉じられるようになったし、普通に話せるから生活には支障はない。活舌かつぜつが悪いとよく言われるけれど、それはもともとだ。雪国の人間は口をあまり開かないでしゃべるので活舌がわるいのだ。腕は今もしびれたままだけれどこれも日常生活には支障はない。

自分で見てもきれいな手術跡だと思う。経過観察を受けていた東京の国立がんセンターの整形外科部長は10年以上いつも手術跡を見るたびに『なんでも鑑定団』ばりに「いい仕事しているねー」とほめてくれた。最近は公の場では、ほとんどマスクをしているので、いい仕事を見せる機会が減って残念なくらいだ。

人の命を救う仕事。
私は即物的な人間なので、高度な医療技術で人の命を救うことができる人たちを純粋に尊敬する。私の病気は、発病が少し前であれば、ほぼ助からなかったはずだ。医療の進歩も着実に進んでいる。がんになるとキノコとかお札とか民間療法とか、いろいろな情報が自分を取り囲むことになるけれど、私は経験者として、私達を必死に救ってくれようとする医療関係者のみなさんに、自分の一つしかない命を託すことを強くお勧めする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?