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妖怪の在りようの多層性について

これまで10年間、長良川温泉博覧会・おんぱくで毎年、
「山口敏太郎といく妖怪ツアー」を企画コーディネートしてきた。

山口敏太郎先生は、マツコの知らない世界などのテレビ番組にもちょくちょく出演する本格的なオカルト研究家であり作家だが、実はかなりのリアリストである。

妖怪ツアーでは、岐阜県長良川流域の、その時(僕の中で)旬な妖怪伝説にまつわるスポットをいくつかピックアップし、ツアーごとのコンセプトで巡っていく。
例えば「長良川龍神ツアー」では、岐阜市の氏神伊奈波神社の荒御魂と言われる黒龍神社を皮切りに、岐阜市日野の舟伏山の龍蛇の首切り伝説をたずね、最終的には長良川源流に近い郡上市白鳥町の村間ヶ池に棲む八大竜王をたずねると言った具合だ。

それぞれのスポットにおける妖怪の解説を山口敏太郎先生と、不肖私蒲勇介でお話するわけだが、敏太郎先生は割と妖怪などの伝説を人間活動に帰結させたがる。「それはおそらく川並衆でしょう」「おそらくサンカや山の民でしょう」。確かに僕もそうだと思う。

ただ、妖怪や伝承には多面的な楽しみ方がある。

例えば河童とは何か?という問いに対して

<説1>河童は夏川にいて冬は山に帰り山童になることがある。これは、夏は川原で漁撈をし、冬は山中で箕作りや籠修理に勤しむサンカを妖怪と捉えたのだ(河童サンカ説)

<説2>椀貸し伝説にもちょくちょく登場するから、木地師のことを妖怪と捉えたのだ(河童木地師説)

<説3>薬の知識を教えたりするから、山の民あるいは修験者を妖怪と捉えたのだ(河童山の民説)

<説4>河童の皿はお供えを載せるものであり、キュウリは供物。河童は水の神の零落した存在だ(河童元水神説)

<説5>ミイラなどを見ても水かきのある手があるではないか。河童は動物として肉体を持って実在したのだ(河童動物実在説)

<説6>いやいや、生物学的にあれが動物なのはおかしい。現代の人間では知覚することのできない霊的存在としての妖怪なのだ(河童霊的存在説)

など、多くの地域伝承を拾い集めれば、この6つの説意外にもたくさんの河童のありように関するヒントが得られる。

大事なことは、すべての真実が重層的に存在することだと思う。

妖怪は存在する/存在しない 
のどちらかではない、
そのあわいに複数の真実を孕みながら"存る"ものだと考えている。

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