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人生とは。

人生とは何か。

この問いを自分自身に向けたことがない人はいないと思います。何をやっても上手くいかない時、苦しくて苦しくてしょうがない時、僕自身、何度も何度も、自分自身に問うてきた問いです。

先日、ふと、人生とは何か、に対する答えが頭の中に浮かんできました。

それは、

人生とは、本来の自分を取り戻すこと。

という定義でした。

自分でも??と、始め思いました。こう書くと、今の自分は本来の自分ではないのか、本来なんてものは幻想じゃないか、そんな声が頭の中で聞こえてきます。しかし、人生とは本来の自分を取り戻すこと、と言い切ると、何か腑に落ちてしまう自分がいました。

人間は誰しも、自分には限界が存在していると思っています。

僕でいうと、自分など創造的になれない、絵や歌などの表現行為なんかできない、がそうでした。

今となっては、アーティストと宣言して作品を作り始め、新しい作品を創ることが楽しくでしょうがないですし、普段何をしていても、世界のすべてがインスピレーションの源泉のようになっています。

でも小学生の頃、一番キライな科目は、美術と書道。真っ白なキャンバスを渡されて自由にしてって言われるのが、嫌で嫌でしょうがありませんでした。更に嫌だったのが、夏休みの宿題で、絵や書道をかかされて、壁にはらされて、金賞や銀賞と評価されること。

この頃から、ゼロから何かを創ることにとても強い恐怖感を持っていました。それ以来ずーっと、新しいものなど生み出せない、想像力などない、そう思い込んでいました。

これは、昨年の12月、アーティストとして生きる、そう決めて仲間たちと作品を作り、社会に表現した時まで続きました。

うまく言葉では表現できないのですが、あの時、大きな、大きな、扉が開いた感覚がありました。メタファーではなく、扉が開く時に、風がびゅーーーーっと扉の外から吹いてきた感覚があったのです。あの時以来、何をしていてもアイディアが湧いてくるし、やりたいことが無限に溢れてくるようになりました。

今振り返ると、僕が自分自身に限界をもうけて、創造的に生きるという自分の可能性のひとつを閉じていたのだと思います。ぼくは、この閉じていた扉を、創造の扉と名付けています。

この扉を開けることで、自分など新しいものを作れない存在だ、から、自分は創造する存在だ、に自己認知が大きく変わったのです。不思議なもので、認知が変わるだけで、実際に創造的に生きることができてしまうのです。

この扉を開ける行為は、人によっては、自己成長と捉えるだろうと思います。けれど、僕は、扉の先の自分とは、新しいものではなくて、元々自分の中にあった、自分の一部だった気がしてならないのです。

更にもう一つ、僕には、開けたことのある扉があります。それは、感情の扉です。4〜5年前、NPOを経営していて、スタッフは血を吐いたり、失踪したり、うつ病になっていったり、友人の経営していた財団からマネジメント不足ということで予算を停止されたり、何もかもが上手くいかないと思っていた時。

あの時期、何をやりたいの?と問われても、よく分かりませんでした。5年位は一切涙も流していませんでしたし、どこか、感情が欠落している感じでした。何に怒っているの?と問われても、何にも怒っていないよ、と回答していました。めちゃ社会に、世界に、怒っていたにも関われず。

しかし、ある場にいざなわれ、その扉が開いてしまいました。いや、正確に言うと、その閉じすぎて腐りきった扉をハンマーで殴られ続け、ぐちゃぐちゃにされ、扉に穴があいてしまったような感覚でした。

実際、信じられないくらいの号泣をし、翌週、急性胃腸炎になってしまいました。自分の中にないものとしていた感情が、扉に穴が空いて一気に、自分の領域に流れ込んできたのです。本来自分の中にあった感情を取り戻したのだと思います。そして、それまで失っていた、喜怒哀楽すべての感情を味わい尽くせるようになりました。

更にここ最近、色んな場と空間に誘われ、僕には知らなかった世界というか、知らない扉がたくさんあることを思い知らされています。

これらの扉を、僕はこれから人生をかけて、ひとつひとつ開けていきたいと考えています。直感的に、次は、表現の扉だと思っています。感情の扉、創造の扉ときて、表現の扉。最近出会ったアーティストに教えてもらいながら、ドンドン絵を書いていきたいです。今年の末には、絵の個展も開催したいです。

ここで、そもそも、なぜ、僕は、扉を開いていきたいのか。

それは、扉を開き、本来の自分を取り戻していくほど、喜びを感じることがないからです。自分の気づいていなかった可能性に自分が気づき、それが実際に創造するものに顕れる。そして、それ自体を自分が体験する。これ自体が、人間の大いなる喜びであり、求めていることではないか、そんな気がしてなりません。

いま見えている扉も、見えていない扉も、存在していることすら認知できていない扉も、ひとつひとつ、ひとつひとつ丁寧に。

そして、本来の自分を取り戻していく。

このプロセス自体が、人生なのではないか。それが、今の僕の人生とは?に対する回答です。

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