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どういう子供に育ってほしいかと聞かれたら。

明日は、息子の保育園での面談の日。時間はたったの20分だけれど何を話したらいいかなと、夜の駒沢公園を散歩しながら考えていた。そこで、今日お会いしていた方がぽろっと話していた一言を思い出した。

「子供が生まれると、子育てのこと、すっごい将来のことまでどうしたらいいか、悩んでしまいますよね。」

教育や子育ては、誰しもが自分の主張があるテーマでも。世の中の動きをみても、STEMだ、起業力だ、課題解決力だ、教養だ、体力だ、姿勢だ、心の扱い方だ、自然体験だ、たくさんの主張がなされている。

僕は一人の親として、何を大切にしていきたいのか、考えてみた。そうすると、「20年後の君へ」という以前書いた文章の一節を思い出した。

一番不安なことは別にあるんだ。それはね、君が20歳になったいま、この世界を好きでいてくれてるかな、ということなんだ。この世界に生まれてよかったなって、思えているのかな。それとも、どうしてこの世界に生まれてしまったんだろうって、世界を恨んでしまってるのかな。

どんな子供に育ってほしいか、言い始めるときりがないけれど、徹底的に削ぎ落としてシンプルにしてみる。

この世界のことを愛していてほしい。自分のことを愛していてほしい。この世界に生まれてよかった。生きていてよかった。そう、心の底から言える自分でいてほしい。

この世界は、たくさんの美しいもので溢れている。たくさんの美しさに触れて、世界を根底から愛してほしい。それは、自分という存在を根底の部分で愛しているということと、同じことを意味する。

一方で、その美しさへの愛があっても、世の中にはたくさんの絶望や苦しみ、理不尽な現実があることに直面することになる。憤ることもあるだろう。怒り狂うことも。絶望することも。でも、根底に愛があったなら大丈夫。逆にそれが反動としてパワーとなるし、情熱となって生きる力となる。

その時、息子が、どんな生き方を選ぶのか、職業を選ぶのか、分からない。でも、その起点さえあれば、生きていける。逆に言うと、それ以外はどうでもいい。学校に通おうと通わないと、働こうと働かまいと。どこで何をしていようと。

息子には、息子のタイミングで、やりたいことが生まれてくるから。その時、学ぼうと言わなくても、勝手に学んでいくことになるし、働けなんていわなくても社会に関わる道を自然と選ぶことになる。

はじめの質問に戻る。

「どういう子供に育ってほしいのか」、その質問に答えるとしたら、「この世界に生まれてよかった」、そう心の底から思える子供に育ってほしい。それが、今この瞬間の、僕の答えなのかもしれない。

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