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デモを起こさなかった就職氷河期世代の可否を問う


私が生まれる前の事件ですが、1972年(昭和47年)にあさま山荘事件が起きました。それまで苛烈を極めていた学生運動は、この事件後に一気に衰退していきます。事件を起こした連合赤軍は、12名の死者を出すリンチ殺人(山岳ベース事件)をしており、世間や学生からの支持を失ったのが原因でしょう。

私が学生の頃も、ヘルメットを被った運動家を校内で見かけたりしましたが、ほとんど相手にされていない状況でした。
21世紀を迎えて、そのような運動は、前時代的で形骸化していると思っていた人が多かったです。

80年代バブル期の頃は、おもしろくなければ意味がない!ノリが重要というようなテンションで盛り上がっていたカウンターとして、その下の氷河期世代はどこか斜に構えた、一匹狼的な生き方がかっこいいというような空気が醸成されていた感覚があります。

やればできるんだけど、真面目に勉強に励むのはダサい。
優等生じゃなくて、ちょい不良。

こういうのがかっこいいとされていた印象がありますし、当時のサブカルを振り返っても、そのような主人公像の作品は多かったです。
そうですね、たとえば、『サイコメトラーEIJI』の明日真映児、
『To Heart』の藤田浩之、『CLANNAD』の岡崎朋也とかですかね。

その後、主人公像はどんどん優等生化していきます。
やればできるではなく、実際にトップスコアという結果を出すのがかっこいいという価値観が若者に膾炙していったからです。
長引く平成不況の中で育ってきた当時の若者にとって、レールから外れることは負け組を意味し、憧れの対象として見ることができなくなったからと、私は思っています。

対人関係でいえば、一匹狼というぼっちを避けたがり、自分の好きな人とだけつるみたいという感じでしょうか。
スクールカーストというのが、より一般化していったのも、この時期でしょう。そしてこの価値観は現在と地続きで、現在の若者にも引き継がれていると思っています。


さて、長々と世代について語ってきましたが、つまるところ何を言いたいのかというと、氷河期世代に限らず、どの世代も学生運動のようなデモを起こすような気質じゃないんですよ。

正確に言うと、現在後期高齢者である団塊世代以降の世代には、大規模デモを起こす土壌がないということです。


だって、賃金も上がらず、増税で毟り取られて困窮化している状況でも、大規模デモなんて起こる気配はないじゃないですか。

コロナ禍の時もそうでしたが、国民は「欲しがりません勝つまでは」の精神で、ひたすら我慢、我慢。苦しいのは皆一緒。だからひたすら我慢。


氷河期世代はデモを起こさなかったら自業自得?

じゃあ、どの世代なら大規模デモを起こす可能性があるのでしょうか。

デモが起こりました→その様子を動画撮影でネットにアップ→「はい、こいつ器物破損で逮捕」と他人事のように眺めているのが、現代の日本人なんですよ!






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