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本当に頭がいい人

本当に頭がいい人ってどんな人だろう? って最近思うんですよね。

それで色々と考えるんですけど、多分それは結局、優しい人のことなのだろうなと思います。

例えば、人を殺したり、苦しめたりする人はおそらく基本的に頭が悪いということになってくるんだろうと思います。

すると、頭が良いというのはそういう残酷さの反対だと思いますから、優しい人が一番頭が良いんだろうなと思います。

じゃあ、「本当の優しさ」って何だろう? と考えてくると、色々な案が思い浮かびます。

例えば、分かりやすく柔和に優しい人もいると思いますが、中には不器用でそれでも優しい……というような人もいると思うんですよね。私としてはそういう「無骨さ」のようなものもどうしようもなく愛しいものであるように感じます。

それは熟練の職人の手つきのようなもので、その手はボロボロだったり、一般的な意味では痛んでいたりとかすることもあるかもしれないけど、こういう徴候はきっとその人の絶え間ない努力の証なのだと思うんですよね。そういう労働者の苦労みたいなのもすごい尊いと思うのです。少なくともバカにしていいものではない。

肉体労働とかは「汚い」とか「頭が悪い人のするもの」みたいな偏見もあるかもしれないのですが、全然そんなことはないと私は思うんですよね。むしろ社会の底を懸命に支えてくれている一人ひとりの労働者とかあるいは家事などの無給の労働も全部含めて、みんな尊い。

それで、劣等感から誰かのことを素直に認められない人とか、時には間違ってハラスメントやいじめをしてしまったりする人たちも、本当はそういう人ではないのだと思います。性善説……と言ってしまえば、それまでではあるのですが、何と言うかみんなよくありたいと願ってて、それでもいっぱい努力しても色々と報われないこととかもあって、そのうちに疲れ果ててしまい、結果として犯罪などが起こってくるだけで、本当は根っからの悪人とかいないんだと思うんですよね。

なので、私とかは死刑制度自体に反対の立場なのですが、やっぱり色々な人たちとお話ししていると、悪い人って一人もいなくて、その人の人格が悪いという意味での「悪人」っていないような気がします。みんなめちゃくちゃ頑張ってる。確かにそこには行動が一時的に支障を来してしまったという意味でのある種の悪さはありはしますし、それを悪人と呼ぶことも可能ではあるとは思います。でも、根っから悪い人は一人もいないんだと思いますね。

今が辛い人たちも、それを助けようと頑張っている幸せな人たちもそれぞれにみんな大事に思います。

いつか義人も悪人もすべての人が救われるといいですね。そのためには致命的な過ちを未然に予防することもある程度は大事なのだとも思います。

独りの人も協調的な人もみんなそれぞれに自分の道を全うしていけるといいですね。誰一人取り残されない、本当の意味での「優しい」社会になるといいなと心から思います。

そしてそれこそが「本当に頭が良い」……ということなのではないでしょうか。

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