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53 生まれつきのオープンハート

幼稚園児のチビあゆ。
ある日公園で一人、静かに砂遊びをしていたら知らないオトモダチが割り込んできて砂場を奪われる。
またある日、大好きなブランコに乗っていたら、
またまた知らないオトモダチがじわじわ寄ってきて乗りたそうにしてたから気を遣って立ち去る。

中学生時代のアユミ。
近くの席にいじめられている男の子がいた。いじめっ子三人衆のからかう声が不快だったから「うるさいから静かにしてくれる?」と言い放つ。いじめられっ子を助ける意図は無いけど、いじめる子を軽蔑する思いはあったかもしれない。それ以降、いじめられっ子は私にだけ心を許し口を利くようになった。だからと言って、そのこと自体に私は興味がなかった。。

私も一度だけ仲間はずれにされたことがあった。
遠足のグループ分けを行った時のこと。「好きなように5人で集まれ」と先生が言ったので、私はのそのそとオトモダチのとこに向かった。
何かにつけて私に意地悪なコトバを浴びせてくる女の子が、その日私に言った。

「もう5人集まったからアユミは
 他のグループに行ったら?」

言われた通り周りを見渡すと、もう既にめいめいグループが完成している。
普通の子ならガシャーンと落ち込むのだろうけど、私はたぶん変わった子だったので「遠足行かなくていいかもー🙄ラッキー」とか思った。
先生がこの事態に気づき、「4人のグループ無いかー?」と全体に問いかける。1つだけあったからそのグループに入れてもらうことになった。
先生は私に気遣って「大丈夫か?😟」と言ってくれたけど、私は「全然どこでもいいですー。」と返答した。ホントにどこでも良かった。

こんな私だからそれ以外にも気づいていないけどターゲットになったことはあったかもしれない。
でも、明確な意図が感じられた事案はこれくらい。どーでも良かったからあまり記憶にも残っていない。そもそも常に一緒に行動しているオトモダチはいたけど「そのグループでなければ」という拘りも無かったし、他の子と一緒でも、ひとりぽっちでも全然気にならなかった。私はそんな子どもだった。

そして私は、子ども以上オトナ未満のお年頃に。
私の心を試すような男性にも出会った。

・“優しさ”のつもりで起こす行動が実は“弱さ”
・“言葉”と“行動”がチグハグ
・私が“受容”すると踏んで“攻撃”する

ここまでの人生、私だってココロに闇を作ってしまったからこそ解放するために出会ったのだと後になって分かったけれど、自分が設定した魂のトレーニング期間の内容としては「なかなかハードだなー。」と思った。
だけどいつだったか気づいた。世の中にある小説や映画などのいわゆる創作物より「アユミの人生劇場」はおもしろい。そう気づいてからは日常の景色が途端にキラキラしはじめた。すべては内側(意識)の変化だった。

なんとゆうことでしょう・・・😍♡       
見渡す限り“いのち”で溢れているわ✨(´。✪ω✪。`)

この辺で今日のタイトルについて説明したい。
読んで字のごとくではあるけど、、
生まれつきココロがぱっかーんと開いていることを「オープンハート」と私は勝手に呼んでいる。
最近になってやっと分かったけど、アユミは生まれつきオープンハートだった。
先に挙げたいくつかの実体験の通り、「悪気なく砂場を奪うオトモダチ」「どんな意地悪も響いていないアユミにモヤッとするオトモダチ」「闇に捕らわれる男性」も全部私には理解できた。それはたぶんその感情がすでに自分の中にも在ることを認めていたからだと思う。つまり「意地悪な自分もアユミの中に居る」ということを。勿論、そんな私も“受容”までは完了していなかったけど。

例えば、、アユミの事案ではなく、一般的に「モヤッとする出来事に遭遇する」時、目の前の現実から自分自身学ぶべきものがある場合が殆ど。でもコチラ(自分)ではなく相手の学びのために起こっている出来事もある。
沢山の人間の魂の学びが複雑に絡み合っているのがこの世界。そんなことが、近頃クリアに視えてきた。

*


数年前に出会った“スピリチュアル”や“精神世界”。
頻繁に“ハートを開く”という言葉を見かけた。でも、それがどんな状態なのか、自分は開いているのか閉じているのかすら分かっていない私は戸惑った。
小さい頃から人の気持ちや感情、思い、思惑、嘘、弱み、妬み……人々の「声」や「言葉」がダイレクトに私の中枢に流れ込んでくる。だからこそ、何をすれば良いのか分からなかったのだ。

意地悪な人やズルい人は、人の弱さに敏感。
コチラが悪かったのではないか…、少しくらい我慢してあげてもいいかも…、私が助けてあげなくちゃ…、そんなことを思わせるのが上手い。自分は与えず、受け取ろうとする。時に奪い取る。物質もエネルギーも。
小さい時から、ココロのパレットに望まない色の絵の具をぶちまけられることが多かった。優しい色を丁寧にいくつか並べ、少しずつまぜまぜしながら澄みきった透明の絵を描きたかったのに。なぜだか「一風変わった人」「悪意のある人」「変な人」「勝ちたい人」が近寄ってきた。
どーやらその頃の私は「どうぞ、アユミのパレットにお好きな絵の具をぶちまけてください」と掲げているらしかった。そーゆーとこ果てしなく鈍感で無知だった私は、気づくのに何十年も要した。つまり私の魂の学びは「ハートを閉じる」ことだったのだ。

いつもオープンじゃなくていいんだね。

厳密に言うと「ハートを開閉できるようになる」こと。この地球で常時開きっぱなしは実に危険。
振り返るといつも私の魂は、「また開いてるよ」「こーゆー時、閉じるんだよ」と何度も何度も教えてくれていた。そして、NOを言えるようになると、不思議とズルい人たちが私の前から消えていった。
やはり大多数の人は「生まれつきハートが閉じている」のだろうか。その場合、この記事はなんだか意味が分からないと思われちゃうのかな。でも同じ感覚で苦しんだ方ならば納得していただけるのかも😃
私のように「生まれつきハートが開いている」なら閉じてみるのも一つの手。
そんなふうに思う。

「うさキチくんにはオープンハート、フォーエバー♥」

Ayumi☽

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