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ゲルハルト・リヒターと彼岸花の突発旅行記

9月30日、東京国立近代美術館のゲルハルト・リヒター展に行き、池袋に泊まって、埼玉の巾着田曼珠沙華まつりに行ってきました。

前からどちらも行ってみたいと思っていたのですが、どちらも10月2日で終了してしまうので、片方諦めてました。
その日1日休みだったので、昼頃に美容室に行ったり、耳鼻科に花粉症の薬を貰いに行ったりしたのち、リヒター展に行く予定だったのですが、朝早めに起きてしまい「これなら午前中に曼珠沙華まつり行けるのでは?」と計画を立てるも、昼に入れた美容室の予定が行く手を阻む。結果、この日に行くのは無理とわかって「もし行こうとしたら、仕事をし始める前の午前中に、無理やり早起きて行くしかないな」という結論。
「だったら今日、どこかに泊まって、朝に埼玉へ出発して、帰ってきてから仕事すればいいのでは」と突然思い立って、当日めちゃくちゃな予定に変更したという経緯です。

ゲルハルト・リヒター展

日が沈んでいい感じになってる東京国立近代美術館

前々から「なんか面白いらしい」ということを聞いていたけど、ただ現代アートというのが「なんか難しそう」とずっと躊躇っていた。行く前の前日とかにYouTubeとかでゲルハルト・リヒターについてさらっと勉強だけしました。

実際に行ってみて、なにもかもわからなかったけど、はっきりとわかったことがあって、それは「たぶん誰もちゃんとは理解できてないんだな」ということ。音声ガイドをレンタルして聞いていたけど、肝心な部分はふわっとしてたりして、鮮明な説明はどこにもない。だからこそ「そこまで深く理解しなくてもいい」ということを理解してから、めちゃくちゃ面白く見れた。

「無を表現した」と言う割には全然「無」じゃない
来場者の人影が幾重にも折り重なるガラス
バグってるみたいな空間
バグってると思う空間
生で見たときにしか伝わらない迫力
実際の写真と絵の具の散布

偶然性からなる芸術を重視していたり、写真と見紛う絵画を描いていたり、こういうものがゲルハルト・リヒターが目指した芸術なのかなと勝手に自分の中で咀嚼していく感覚がとても楽しかった。
最後の方では「もう絵は描かない」と言ったリヒターが、今もなお描かれている芸術たちが、細々と展示されているさまが印象に残った。

まるで芸術家の残り香のよう

だから、たぶんこういう写真とかも芸術たり得るんじゃないか。というのがこのゲルハルト・リヒター展を見た自分の解釈。

『見るに堪えない』
『曰く、どうやら写真らしい』

豊穣の湯 ドーミーイン池袋

サウナに行きたくて、ドーミーインを選んで、埼玉へ一本で行けるから池袋にしたのだが、今考えれば東京ならどこでも良かった気がする。
ドーミーインのサウナへの気合の入れようはすごいと改めて思った。このホテルは、温泉でポカリスエットが飲み放題。めちゃくちゃポカリが好きなので、サウナに入りまくってポカリをガブガブ行きまくったんですが、流石にポカリを延々とガブガブ行き続けると味に飽きてくるという新しい事実に気づきました。水ってすごいな。

結構な量の漫画読み放題

池袋だからなのか、温泉内ではアニソンのオルゴールバージョンが流れてたり、休憩所の漫画棚がめちゃくちゃ気合入ってたりした。広くてフィギュアがいろいろ並んでたりしてびっくりした。

↑これは職業病
白木屋のテイクアウトで晩酌

ホテルに泊まるのは、ダラダラ温泉に入って、ダラダラ部屋で晩酌するのが目的の全部だったりする。結局お酒飲んでスマホでYouTube見てるんだから、家で良い気がするけど、なんかホテルが良いのだ。

夜鳴きそば
朝食ビュッフェ

このホテルは朝から中華が並んでて、それが予想外で適当に麻婆豆腐やら餃子を入れてめちゃくちゃになったプレート。これがテレビ千鳥の「1周だけバイキング」だったらめちゃくちゃ怒られそうと思いながら反省してた。

曼珠沙華まつり

高麗駅

本当は朝早くに到着する予定だったのだが、結局ホテルでダラダラしすぎてしまって、もう昼頃になっていた。駅は曼珠沙華まつり押しがすごかった。

道中の「世界人類が平和でありますように」
彼岸花

巾着田曼珠沙華まつり。リコリスリコイルの影響というわけではなく、前から彼岸花のことが気になっていたので、いつかこういう彼岸花畑的なところに行ってみたいと思っていた。

普通に入り口に井ノ上たきなのコスプレをした人が居てびっくりした。

一面真っ赤な彼岸花

思っていたより迫力があったし、公園内の距離が長くてびっくりした。歩く先にずっと真っ赤な光景が広がり続けていました。あとチラチラとコスプレした人が目立っていて、鬼滅の刃と刀剣乱舞の人が居ました。やっぱオタクは彼岸花好きなのか。

9月の終わり、ちょうど見頃が終わりかかるころだったらしく、一部ではもう枯れてしまった場所もあった。

見頃を過ぎた彼岸花

しかし、死の象徴とも言える彼岸花そのものが、死を迎える瞬間というのはまた違った見ごたえがある気がした。死の象徴の死は、はたして何を意味するの花なのだろうか。枯れた彼岸花にも意味はありそうだけど、そういうことに思いを馳せるのも、また一興だと思えたし、それを勝手に「見頃が過ぎました」と看板で大きく表記される寂しさも、また惨たらしく、美しいように見えた気がした。

枯れた場所に凛として咲く彼岸花

この時期にしか見ることができないんじゃないかと思える、面白い光景を何度も見れた。一面枯れ果てているのに、ただ一輪だけ凛として咲いている姿があった。この彼岸花こそ、気高く、より一層美しく見えて、神々しい死を表現しているように思えた。

樋口円香と彼岸花

シャニマスのカメラ機能をはじめて使ってみた。「これってただの合成と変わらないのでは?」と思ったけど、撮影している最中は意外と楽しかった。これと気温のおかげでスマホに「ちょっと本体が熱くなってるんで」と警告されてしまった。

終わりに

これは旅行なのかな?ってずっと思っていました。なんなら2日目より、ホテルの方が家に近かったので。遠いところには行ったけど、近場に泊まる不思議な感覚。予定が突発的すぎてぐちゃぐちゃになってしまった。

そしてこの後に家に帰ってきて仕事という未知のゾーンに突入したが、想像以上にヘトヘトのヘトだった。よく考えれば当たり前のことなのだが、あまりに突発的に行動したせいで、全然考えてなかった。
おかげで変な2日間だったけど、変な満足感だけが残った旅だった。

http://blog.livedoor.jp/maxell011/

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