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だからスキを手渡したいんだ week3

おはようございます、だいすーけです。
今年はじめた取り組みとしてひとつ、「スキnote」を週に1回ご紹介するということをしています。その週にスキを押したnoteの中から、毎週5作品程度をご紹介していきます。
今回はその3回め。自分のスキをしっかり表明することを今年の目標のひとつとして掲げているので、この取り組みをはじめるに至りました。

これはあくまでも主観に基づいた取り組みです。ぼくの言葉でご紹介したいと思ったものを、無理のない範囲でご紹介していきますので、お付き合い頂けたらうれしく思います。

それではさっそくご紹介します。
よろしくお願いします!



文章力は「怒り」に現れる / 涼雨 零音 さん

わたしが考える高い文章力というものは、「激怒」を正しく表現できるものだ

序盤のこの一文を読んで、激しく頷きました。とくに、「正しく」というところ。
たしかに「激怒」したときって意外に冷静。「激昂」とはちがいますよね。いわゆる「罵詈雑言」、低俗な言葉を並べ立てた文章にはあまり出遭ったことはありませんが、「怒っている」という事実は理解できるけれど、その怒りの本質や度合いがまっすぐ届いてこない。それはきっと、霞んでしまっているのだと思うのです。罵詈雑言を巻き散らすことによって。
文学のなかにおいていわゆる「罵詈雑言」を並べ立てる場合、それはもはや怒りではなく「諧謔」であると、零音さんはつづけます。怒り方が下手な人は、笑いものにされてしまう。テクニックとしてそれをやるから、罵詈雑言を並べ立てると芸術にな(り得)る。
「怒」はほかの感情に比べて受け手にもストレスがかかる(≒エネルギーがすごい)から、「喜」「楽」といった感情よりも受け手が壁をつくりやすい気がします。だからなおさらそこには「高度な文章力を要し、同時に極めて高い自制心を要求される」。
「怒」を書き(≒描き)きること、チャレンジするときには零音さんの書かれたことをしっかり復習してかかりたいと思います。


『ちいさな異邦人』(短編小説) / tago さん

※ネタバレを含む箇所がありますので、ご紹介なのに矛盾していますが、未読の方はスルーしていただくことをおすすめします。

「おっ・・・・・・お父さんっ」

我慢していたものが、この一言で溢れてしまいました。
届いたのかな、もしかしたら知っていたのかな。感じていたのかな。

仔細な旅の描写のなかで交わされる、「わたし」と「おじさん」の会話、その最初はぎこちなかったものが徐々に滑らかになっていく過程。もしかしたら、たぶん、きっと。確信。旅の行程とリンクして、それがとても印象的に感じられました。
googleの地図でモロッコを見ながら、地名がわかる範囲で一緒に旅をしてみたんです、ふたりの旅を追って。マラケシュからワルザザード、砂漠、その帰り道。旅のクライマックスは首都ラバトの領事館、それはふたりの別れの場所。その後「おじさん」はジブラルタル海峡を渡って、そして。

ヘッダー画像、読み終えてから改めて見ると、意志のつよい目に宿っている力がさらに増したような気がしました。時を経てふたたびその場所を訪れた、かつての「ちいさな異邦人」。彼女はそこで何を思うのだろうかと、清々しい気持ちで読み終えました。

※こちらを書いたあと、「あとがき」を読ませていただきました。

好きな作品の生まれた背景を知ることができる「あとがき」って、スキの増幅装置みたいだなあと思います。


思い出瓶詰め / 花風 さん

※こちらもネタバレの可能性があります。ショートショートなので、まず読んでいただければ。面白いです!

恋人に別れを告げられ、失意の日々を過ごす繭美が立ち寄った、とある不思議なお店。そこにはたくさんの、「瓶詰」が売っていた。

これ以上中身をご紹介しようとすると、早々にラストにたどり着いてしまうくらいのショートショート。
ぼくも、どこかにこんなお店があったら入っていたかもしれない。瓶によっては、ほかの効果もあったりするのかなあ。そんなことを思いながら、読ませていただきました。
ごく短いお話のなかにぎゅっと詰まった不思議、多くの人に体験してほしいです。


すべてがまとまって、ひとつの世界を創り出す / 百瀬七海 さん

たとえばあなたの大好きな作品について思い出そうとするとき、物語や内容の展開はもちろんとして、その物語に自分が抱いた印象、高揚した気持ち、影響された考え方、読んだときの記憶、それらの多くはヘッダー画像のなかに集積されているのではないかと思います。端的に言えば、ヘッダー画像は物語を代表している、象徴しているものだということです。書き手にとっても読み手にとっても、それが失われるということがどれだけのことなのか。それは考えるまでもない気がします。
「みんなのフォトギャラリー」に提供された画像の著作権は、画像の提供者にあります。提供者がnoteを退会することになれば、たくさんの記事に影響が出る。それはぼくも承知しているつもり。パブリックの場に提供する以上その画像が「人に影響する、関わる」可能性(何より「だれかの大切な一部分を構成する可能性」)があるということを、提供する側は知っておかなければならないのだとも思います(提供する側の理由もあるでしょうが、ここでは割愛します)。

その画像をつかえなくなったときにも通知がくればいい。ぼくがそこに「あったらいいな」を加えるとすれば、「画像の提供者が画像をnoteに寄付する」機能です。何らかの理由でnoteを退会する場合に、いつでも、でも構いませんが、画像の権利を放棄することができる。それはそれで新たな問題が発生するかもしれませんが、何らかの対応が必要な部分ではあると思っています。これは、必然的な問題提起なのではないでしょうか。


飛び石を置く / Lisa Ito さん

写真を撮り、言葉を並べることを(中略)今の私は「飛び石を置いている。」と言い始めています。

飛び石を置く。
美しい表現だなあと思いました。
こころのなかに道があって、進む先に池があったとして。そこに並べられた「霧のような雲のようなふわっとした雰囲気」の飛び石が、「その人の心の中で、あまり仲良くなかった自分と出会」える(かもしれない)ように配置されている。

写真は、言葉は、スイッチなのかもしれない。
スイッチを入れたとして、飛び石を歩く人がどの飛び石を選んでどの道を選ぶのか、そこまでを決めることはできない。だとしても、見えなかった道を提示することで、その人にとっての選択肢や生きるヒントになればいい。

そうしてだれかのために池に飛び石を置きつづけること、その積み重ねや試行錯誤によってこそ、自分のための飛び石が置かれる。置いてきたものの数だけ、自分の道が拓ける。そんなふうにも読めました。
並んだ写真とあわせて、ゆっくり噛みしめたい文章です。



「だからスキを手渡したいんだ week3」、今回は5つの作品をご紹介しました。もうすべて読みました、という人がいるかもしれない。気が合いますね、うれしいです。未読のものがある方は、よかったらここから飛んでいってください。新たなスキにきっと、出会えると思います。

ということで。
来週も、素敵な作品をご紹介できることを楽しみにしています。

ぼくのスキを表明することが、だれかのスキにつながるかもしれない。だれかとだれかの、これからをつなぐことができるかもしれない。

それを信じて。
お付き合いありがとうございました。


フォローさせていただいている方の作品をご紹介することが必然的に多くなると思いますが、はじめましての方の作品も区別なくご紹介したいと思っています。みなさんのシェアやスキ、参考にさせていただいていますので、これからもどんどん表明してくださいね。







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