パニック障害7年目の話

NHKで放送されているバリバラという番組、ご存知ですか。身体、精神障害者や性的マイノリティーなど、現代社会で生きづらさを感じている人にフォーカスしたバラエティ番組らしい。
偶然観た昨日の放送内容がパニック障害にかんするものでした。
当事者というのもあってつい最後まで観てしまったのですが、「ああ、私ってマイノリティーだったんだな」と再度思い知らされた感じでした。

患ったのは7年前の春。振り返ると、当時は家族間の問題や周囲とはかけ離れたタイトなスケジュール、不眠や食事制限、若さ故のしんどさ……複数の要素が重なり合い、病気という形で発露したんだと思います。
その日の朝はなんとなく調子が悪くて、風邪の前兆かと憂鬱になりつつも、いつもどおり電車に乗りました。駅に着いた頃には既に足元が覚束なかったのですが、そんな日もあるだろうと大して気にしていませんでした。
しかし、発車して数分も経たないうちに眩暈(というより脳貧血に近い感覚)と息苦しさで崩れそうになりました。目的地はまだまだ先でしたが、ドアが開いたと同時に、逃げるようにホームへ降りました。
はじめての感覚だったので、どう対処すればいいのか判断できず、近くのベンチで必死に呼吸をしていたのを覚えています。ちょうど駅員が目の前にいたので、救急車を呼んでもらったほうがいいか、そもそも何と伝えれば助けてもらえるのか、情報も度胸もない私はただ抱えたバッグに顔を埋めることしかできませんでした。過呼吸を経験したのはこれが初めてです。

30分ほど経った頃には症状はだいぶ落ち着いて、お手洗いで一呼吸したあと、再び乗車して目的地に辿り着きました。その日は若干の体調不良ではあるものの普段どおりの生活を送ることができ、「今朝のは何だったのだろう?」と思いながら帰宅しました。

ただ、この日を境に露骨に体調が悪化していきました。電車に限らず自宅でも常に眩暈はするし、1ヶ月以上まともに眠れていないし、脚に力は入らず、起きているだけで吐き気がする。横になっても動悸がして休まらない。
内科、婦人科、耳鼻科……病院を転々として、結局行き着いたのが心療内科でした。この頃にはひとりで病院にすら行けず、母に付き添ってもらっていました。

結局、器質的な問題はないものの、頻脈と血中のコルチゾール値が異常に高かったことから、【抑うつ状態、自律神経失調症】と言われました。

以来、SSRIと頓服の抗うつ剤や漢方薬を常用し、仕事や買い物などは問題なくできていますが、パニック障害もその過程で発症しました。
電車や人混みなどの身動きがとりづらい閉鎖的な環境はもちろんですが、私の場合は夏場のシャワーや有酸素運動後、寒暖差の激しい時期や風邪をひいたときに症状が強く出ることが多いです。

パニック症状の中でいちばん辛いものは持続性でいったら眩暈ですが、激しさで言えば過呼吸でしょうか。ほとんどはハンカチを口に当てて呼吸に集中していれば落ち着いてくるのですが、稀に手足や腹部、後頭部の痺れや指先の拘縮があるときは本当に辛いし、寝起きなど前兆すら感じないものは何度経験しても怖いです。死ぬようなことじゃないとわかっていても。

『NANA』という漫画をの中で、登場人物である美雨が過呼吸を起こしたナナに向かって
"死ぬほど苦しいのに絶対に死ねない"
と言うシーンがあります。小学生の私はそれをさして気にも留めずに読み進めていたのですが、症状が出るたびにこの台詞が反芻されるようになりました。あまりにも的確で。
話は少し逸れますが、自律神経失調症による不定愁訴もそのとおりに感じます。確たる病名があるわけでもなければ、アプローチする罹患箇所があるわけでもないのに常に眩暈や吐き気が付き纏う状態で、真綿で絞められている生き地獄、死なせてもらえないので終わりがないという感覚でした。

他人に理解しろと言うのは無理なことだと思います。私は二度と戻らない身体を労りながら、名前もない病気に毎日苦しんで生きるのが本当にしんどいと思うなかで、「実際に臓器が悪くて、終わりのある病気ならどれほどよかったことか」と何度も頭を抱えました。一方で、治る見込みもなく死を待つ他ない患者からすれば、私など生きられるだけ恵まれた人間だと恨めしく思うことでしょう。
結局、想像はできても痛みも苦しみも自分にしかわからない。言わずもがな、当事者同士が意見交換をしたり、寄り添いあったりできるのは素晴らしいことです。でも私は、自分の気持ちや境遇を周囲に伝えて蔑ろにされるリスクをとれるほど強くはない。

昨日の番組で、街の人にパニック障害について聞いたところ
・急に暴れる
・ワーっと叫ぶ
イメージがあるらしいですね。そんな経験、人生で一度もないですよ……周囲からロボットみたいと形容されるくらい、私は公で感情的になりません。
名前が悪すぎますよね。パニックというと頭がおかしくなって大暴れする、みたいな語感ですから。実際は静かに蹲っている姿すら他人に見られたくなくて家に篭ったり、人目を避けて行動したりするタイプがほぼ100%だと思うんだけどな。

病気に限らず、本音や実情を話したら悩みを軽んじられたり、理解した気になって無神経なことを言われたりする。理解されない、寄り添ってもらえないより私はそちらのほうが余程きつい。
だから、親戚以外は私が患っているものを知りません。

これからもお手洗いでコソコソ頓服を飲んで、何もないふりをして隅っこでやり過ごす。自分にはその生きかたのほうが合ってるかな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?