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コートのポケットに文庫本を入れる

冬は寒いからきらい。

でも、コートを着るからポケットに文庫本を入れられる。
それだけは、冬のいいところだと思う。

いつからか、ほんのちょっと出かけるときにもバッグを持つようになった。
ポケットに、コインケースと文庫本だけを入れて出かけていた小学生のころを、懐かしく思う。書いていて、そんなに手ぶらで出かけることなんてあったかしら、とも思ったけれど。

普段電車に乗るとき、わたしはあまり本を読まない。スマホを見ていれば時間がつぶせる。それに、本をカバンから取り出すのは面倒だ。特にハードカバーの専門書なんかになると。
そうして最近、本とは疎遠になってしまったけれど、わたしはもともと本の虫だった、と思う。別に高尚な本なんて読まない。流行りの小説やエッセイばかり読んでいた。
小学生から電車通学をしていたから、電車の中でも、住宅街の中を歩きながらも、ずっと本を読んでいた。文庫本は上着のポケットに入れていた。(上着を選ぶ基準はポケットが大きいことだった。)本を開けばいつでも、ここではないどこかに行けて、わたしではない誰かになれた。

わたしはポケットは、別の世界につながっていたのだ。

制服を着るころには、わたしは文庫本をポケットに入れることもなくなった。(なにせ、制服のポケットには文庫本は入らない。)
勉強が忙しくなると、小説やエッセイを読むことも減った。

先日ふと、文庫本を買ってコートのポケットに入れて歩いていると何やら懐かしい気持ちになった。片方だけ重いポケットに、「コートの形が崩れるなあ」なんて思いながら、図書館で借りた本の続きが読みたいとわくわくしていた、家まで待ちきれなくて歩きながら読んでしまった、小学生の頃を思い出した。本の虫はこんなところに隠れていたのか。

その日以来、コートのポケットに文庫本を入れて歩いている。うすっぺたい、古本屋の軒先でたたき売られていた本たちだ。一日、全く開かずに帰ってくることもある。それでもいいのだ。だって、別の世界とつながっている、そのことが大事なんだから。

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