光を追う人

私は他人の言葉からインスピレーションを得るタイプのようだ。

中学生時代、入院手術に伴って、一時的に養護学校(今で言う特別支援学校)へ転校した経験がある。
それまで地元の学校では「助けられる側」でしかなかった自分が、自分よりも重い身体障害のある友人を「助ける側」になった。校内の役割を任された。体育の授業で振り付けを考える側になれた。それまで、人が考えたものを覚える側だったのに。

「こんな自分でも人を助ける側になれるんだ!」と体感した、その一年の経験は私の中で自信に繋がり、その後の自分を変えた。

具体的に言うと、積極的になったし、堂々と行動できるようになった…と言えばいいのだろうか。自分の意思や選択に、自信が持てるようになった。心理学用語で言えば「自己効力感」というのが近いだろうか。

地元の学校に戻れば、教室の隅で本を読んでいるタイプなのは変わらなかったし、人に積極的に話しかけるようになったわけでもない。からかってくる男子はいたし、相変わらず「好きな子同士」で班を組めば、あぶれて、一人になった。
修学旅行の班決めで、同じ班に入れてあげてと言われて、何故か幼なじみが泣いた場面を覚えている。きっと厄介者を押し付けられたのが嫌だったんだと思う。保育園で仲良くして、大きくなったら一緒に住もうねとまで約束した仲だったのに。でも、そんなことは昔の事だ。覚えているわけもないし、しょせん子どもの約束。馬鹿みたいにそんなことを忘れない自分が、恨めしい。

好きな子同士という言葉はトラウマだ、今も。

高校では、運よく入院先で知り合った友人と同じ学校に進んだこともあり、やってみたかった合唱部の門を叩いた。気心の知れた友人と一緒だったから勇気が出た、という但し書き付きではあるものの、自分で選んで自分で行動した経験として、はっきりと記憶に刻まれている。

大学に入ると、大学でしかできないことをしたいと、構内のチラシを見かけて一人、大学生の駄菓子屋に参加した。活動場所に行ってみれば、メンバーは上級生や院生までいる中で、同じ学年はおらず、新入生はたった一人。その当時は自分なりにいくらか悩んだと思うのだけど、地域活性化に携われる!今しかできないことができる!と参加した。

他にも近隣の市まで出かけて行ってボランティア活動に参加したり、好きなアーティストのトークイベントに東京の渋谷まで行ったり。(散々、親と喧嘩して親が根負けした結果、親同伴という条件付きではあったが)

インクルーシブ教育といって、障害があってもなくても共に学ぶ、ということが言われる時代になったし、障害者施設だからと辺鄙なところに施設が作られるのは、もうそんな時代じゃないと言っていかないといけない、と思う。障害者だって、社会の一員。当たり前に接して、当たり前に一緒に生活している。同じ社会の同じ人間だと、言っていかないといけない。少数派だから、人と違うからと、自分を恥じたり隠さなきゃいけなかったりした時代は、もう「遅れてる」のだ。

昨日、初めて発達障害者の当事者会に参加した。そこで、改めて中学時代の経験を思い出した。発達障害があること、それが《普通》になる空間では、他人に比べて出来ないことよりも、自分に出来ることが浮彫りになった。
人よりも長く喋れるらしい。人よりも文章が書けるらしい。疲れを知らずに喋り続けられるのだって、他人から見れば才能であり、出かけた後に疲れる原因なのでは、と。
世の中全体に通用するほど突出した才能なわけではなくても、自分にはできることがあるんだ、そういうことを、久しぶりに思い出させてもらった。
ある友人はフルタイムで仕事をしながら、たまの休みは日本中どこでも推しのライブに飛び回り、フェスに行き、もみくちゃになっても平気だったのに、数年前の一時期は、それが出来なくなって辛かったと言っていたっけ。その友人に比べれば、全く大したことない、でも他人から見れば十分に有り余るこのエネルギーを、この自分を、これから、どう活かして生きていこう?

神様のカルテの栗原一止先生に倣って、言ってみようか。「笑う者あらば笑うがいい。」

夢追人だと笑われようとも、なんと言われても。社会や会社に合わせるより、自分自身のままで、無理を強いることなく生きて行ける道を、探り続けていこう。

  https://youtu.be/0pUE7L1wrSM


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?