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経験は才能になるかもしれない

4/1のエイプリルフールに、何度目かの同性で結婚(お付き合い)しました報告を見てからこっち、色んな過去のトラウマやら、しんどさやら、我慢が、溢れ出してしまっている。

ネタを披露した人々を責める気持ちよりも、これのどこが悪いの?これのどこが謝ることなの?という、たくさんの人々の無邪気な反応が見えてしまったのが、私にとって、辛かった。

ネタとして消費されて、なぜ傷つく人がいるのか、想像もつかないほど、実態が知られていない、社会の異質な存在なんだ、と思い知らされたというか。好きになった相手が同性であるというだけで、社会的な扱いに差がある(差別)現実がある。嘘としてなら、ネタとしてなら大衆に受け入れられるんだ、という絶望感とともに、自分はやっぱり普通じゃない感覚側の人間なんだと、思い知らされる。

話は少し逸れるけれど、
英語で、障害のことをDisabilityと言うけれど、この言葉の中にはAbility(能力)という単語も含まれている。
ネイティブスピーカーではないので、本場のニュアンスは分からないけれど、Disabilityという単語を見ていると、できないこともあるけど、中にはできることもあるよね、と言われている気がする。(日本語で言えば、不出来という言葉には出来が入っている、みたいなものだ)

そして、たくさんのDisabilityとたくさんのAbilityの集合体が、私という人間なんだと思う。

異性愛者みたいに、器用に異性にだけ限定して恋することができない(=好きになるのに性別は関係ない)し、健常者とは違って、歩き方が違ったり、手すりが必須だったり。重い物を持って移動するのが困難だったりする。
一方では、文章を書いたり物を考えたりするのが好き。文章に限らず、伝えたいことがどうしたら分かりやすく伝わるだろうか?と試行錯誤するのが苦ではない、人と話すと疲れるのでなく元気になれる、といったAbilityもある。

そんなことを考えていた今日、下記のような記事を見つけた。

自分の弱い部分、「vulnerability」を見せる

vulnerabilityとは、傷つきやすいという意味のvulnerと、能力という意味をもつabilityが1つになった単語で、訳すと脆弱性という意味らしい。

弱いことや傷つきやすいことと、能力や才能という意味もある単語を、組み合わせてしてしまうとは、面白い発想だと思った。

弱いこと、傷つきやすいことは、一般的に良くないことだと思われているし、無くしたほうがいいものだと思われている。おそらく、英語のvulnerabilityも、そういうニュアンスなのだろうけれど、ここは、Abilityの部分に注目してみたい。

その人がもっている弱さや辛さを、その人にしかない能力で、才能だ、と考えたら。

疲れやすいのも、他人が気が付かないことに気が付きやすいのも、自分にしかない能力なのかもしれない。

今の社会で、同性が付き合うということが、時に人から嫌悪されたり拒絶されたり公的には認められていなかったりすることを人より知っていることも、自分の能力の1つなのかもしれない。

自分の弱い部分を、自分にしかない視点を、もっともっと、発信していきたい。それが私の強みであり才能であり能力だから。声を出していかないと、いないと思われてしまうから。うるさがられようが、嫌がられようが、堂々と。

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