パン屋録#1/両親の宣言
「これは相談でなく、報告です。」
からりと晴れた青空のもと。
当時61歳の父は、会社を辞めて母とパン屋になると宣言した。
アイスティーを飲みながら。あまりにも自然に。
当時父は会社勤めをしていて、特に定年はなかった。
自分の引退を自分で決められる。というか、自分しか決められない。
子供たち(私と妹)が自立し、ちょっと自由な気持ちで残りのキャリアを考え直したのだろう。
母は一時期パートをしていたものの、基本的には専業主婦だった。
父が転勤すればそれに伴い、父が転職すればそれを支える。
ともすれば父より事務能力の高い母に、ずっと家事中心の生活を送らせていたことに、父も何か思うところがあったのかもしれない(そうあってほしい)。
私は年齢を重ねるごとに、母に対して申し訳ない気持ちを募らせていた。
母が昔勤めていた会社は、(私が受けても受からないだろう)総合商社だ。
ちょうど女性の社会進出が謳われはじめた時代。
母の周りにも、仕事のやりがいを追求する同性がいたと思う。
私と妹を育てるために母からキャリアチャンスを奪っていたことに、やっと気が付いた。
私自身が仕事の楽しさを知るほどに、そこで尊敬する仲間を得るほどに、
母から同じ喜びを奪ったのは自分なのだと、一抹苦しい気持ちになった。
だから両親のパン屋を応援した。
…と書けば美しいが、実際は「相談でなく報告」と言われちゃったんだもん。意見する余地なかったよ(^^;
今になって聞いてみた、なんでパン屋したの?
60歳を迎えた両親は、「二人で仕事をして、とにかく健康に過ごしたい」と話し合ったようだ。
健康第一と掲げるくらいなので仕事の目標は低い。
失敗を「1年未満で立ち行かなくなること」と定義し、「失敗しないこと」を目指した。
成功でなく失敗を定義し、それでなければOKとする点、なかなか渋い。
自己資金のみで始められることを条件に、①フランチャイズにするか、②独立経営にするかを比較した。
①フランチャイズは既にブランド力もノウハウもあるが、窮屈感は否めない。②独立経営は一定のリスクを伴うが、自由度の高さが魅力だ。
「61歳からのスタートだから、気ままにできる道(②独立経営)を選んだ」と父は言うが、娘は思うよ。
年齢はあまり関係ない。
両親のゆるふわな性格は、いつだって自由度の高さを求めただろう。
母の趣味は料理。
母も娘も少食なので、少ないおかず量から多くの栄養素を摂取させるため、頭を使っていた。たとえば我が家の卵焼きには何かしら小さく刻んだ野菜が入っている(青のりと紅ショウガを入れた「たこ焼き風」がオススメ)。
お味噌汁は具を入れすぎて、もはや煮物状態だ(笑)。
煮物一歩手前のお味噌汁:我が家のデフォルト
また母は無類のパン好きだ。
美味しいパンを求めて、近所とは呼びにくい距離まで散歩することもあった。
父は、60歳からのキャリアを母の趣味を活かせるパン屋に決めた。
母は、数十年ぶりにキャリア復帰のチャンスを得た。
私は、とりあえずそんな両親を見守ることになった。
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