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泣ーいてばかりいる子猫ちゃん。。

そして入った幼稚園では
よーく泣いてました。
わたしがこの歌の最後に野太い声で
犬のおまわりさんになると、泣き笑い😹
泣いてる顔が好きで、いつも写真を撮ってました。
ウルトラマン大好き、泣き止んで変身ポーズです。

すでに元夫は外資系のソフトウェア会社を辞めて
資格を取るために学校へ通っていました。

勤めていた会社は、決して肩を叩くようなことなく
役職と部下をどんどんつけて、
本人がこなせれば残れるし、という自然淘汰システム
さすがでした。。思うがままの人事です。
彼は精神的に追い詰められて
今日会社辞めてきたと、ある日。
とても辛そうでしたので、いいと思うよ、と

そんなことで離婚するつもりはなかったので
節約で支えよう!と4SLDKの分譲賃貸から
2Kの古い木造アパートへ、娘がお腹にいたとき。
当然家具もおもちゃも大半持ち込めず、
国道沿いにトランクルームを借りました。

商店街の鮮魚店で、キロ300〜400円の
マグロの血合いを買い、血合いに残った赤身を
丁寧に削いで鮪丼🍣、血合いをたまり醤油漬け
半分グリル焼きにして、焼き魚定食
半分はネギのぶつ切りとカマ汁うどん。
最大三日、使い回しで、妊婦の私は納豆卵
月食費2、3万で、乗り切りました。ゲーム感覚。

周りの友人や親兄弟が心配して来てくれますが
なんとしても離婚は避けたかった。。
わたしは父と母がいて、とても幸せな子どもでした。
片親に対する偏見もあったと思います。
後年聞くとやはり子どもには
想像を絶する寂しさ、引け目があったようで
お友達のパパの姿を目で追いかける
子どもたちの姿を見たのは、
一度や二度ではありませんでした。

資格を取り、実家の家業を継いだ元夫は
2年ほどその仕事に就き、またシステムの仕事に戻りました。
それがストレス再燃させ
少し経ち、とある事件を起こし警察のお世話になりました。
釈放され帰宅してきた顔で、謝ってくれたら
我慢するつもりで待っていたのですが
言い訳と罵倒を繰り返され、姑の助言もあり
結婚継続を諦めてしまいました。
あの時
もう少しわたしに、強さと柔らかさがあれば
子どもたちに悲しい思いをさせずに済んだかもしれないと
今でも考えます。

娘は2歳代から家にパパがいなかったため
記憶がほとんどないようで
ビデオで抱っこされている赤ちゃんの自分を
自分だと思わずに観ていました。

離婚は決していけないことではありません。
その方がお互い建設的に、思いやれる可能性も。
お酒が進むと子どもたちがケガしてはいけないので
車で近所の銭湯に避難、閉まったら車で仮眠。
翌朝、彼が出かけた頃に帰宅するような生活を
あのまま続けるわけにはいかなかったとも思えます。

シラフだと普通に話せるので
お酒はやめませんか、節約にもなるし
とお願いし、短期間やめてくれたことがあり
その時は家族四人。2ヶ月ほどでしたが
穏やかに慎ましやかに
幸せにお金は不要なのかもしれません。

元夫は別れて十数年後に、後縦靱帯骨化症という
国指定の難病を患いました。完治できない病です。
一番苦しく悔しかったのはきっと本人。
幸せにしてあげたかった。
けれどまだ、諦めてはいません。
私に子どもたちという宝を授けてくれた人です。
もし、元夫が助けを求めてくれたら
いつでも助ける覚悟でいます。
全く連絡を返してこないのは、
迷惑をかけたくないという
命懸けのプライドなのかもしれません。

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