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専業ママ幼稚園探し。息子に全集中の頃

息子と娘は4歳離れていて、
もともと子どもを産むつもりも、結婚するつもりもなかった当時は、
「一人で十分すぎる」と思っていましたので、過剰育児にハマりました。
シングルになる直前まで専業主婦だったこともあり、幼稚園選びには1歳になる前から情報収集したり、過剰に新米ママやりすぎてました。

0歳:自治体主催のママサークルへ

市広報で見つけ、20組ぐらいの親子と一番近い文化センターに毎月集まり
子どもたちは、保育士資格を持った先輩ママたちに預け
その間、手遊び・お手玉など月齢に合わせた遊びと、後半おやつタイム。
ママたちは別室でさまざまな専門家が「子どものご飯」「子どもとママの健康管理」「手作りおもちゃ作成」など、座学してくださる講座を。
今思えば、幸せな育児スタートを、自治体は用意してくれていました。。

ふらつかない自転車で隣町の百貨店へ行った帰り、転倒したのをきっかけに教習所へ通わせてもらい、2カ月で免許取得。新車がベッコベコになるほど、実家や成田の妹の家へ行ったり、お台場にママたちと出かけたり、専業ママを満喫していました。書きながら振り返ると、そんな穏やかな時代もあったんだな、と思い出しました。元主人に感謝しなくては、ですね。。

1歳:ママサークル活動と英語教育

二年目は同じメンバーで、市から補助金を受けて活動を自由にすることができました。
申請は必要で、12回分どのような講師を呼んで講座を企画するのか。
申請が通れば、保育士さんへの報酬も市が負担してくれ、講師への謝礼も(上限はあるものの)ほとんどが材料費までカバーできる補助でした。
この活動は、子どもたちが成長した後年も「やってよかったよね」とママ友が述懐してくれるので、楽しい思い出です。

市の無料講座で、イギリス人の先生が親子で英語を教えてくれるサークルに参加したり、例の高い英語教材、買ってしまったのもこのころでした。(ほんとに要らなかったです。。)

言葉が遅かった長男

プレ幼稚園クラスに入ったころ。1月生まれだった(せいだけではないと思いますが)こともあり、周りの達者なお友達に「この子、何言ってるのかわからない」と苦笑されていました。
キッチンで足元に来ては、言ってました。

  「まま。おあちゅ、まだ?」

この時期はハロウィン用のカップ型にパンプキンマフィンをよく焼いてました。大半分量がカボチャで、しっとりしていたから好きだったみたいです。
チョコチップクッキーとか、ホットケーキ。
焼くまで10分もかからないのだから、
仕事に復帰した後も、もっとずっと作ってあげればよかった。
彼が反抗期に入り、家財を破壊したり、家族にも、という頃にも。
今思えば、ですが、、たまに作ると大げさに懐かしんでくれます。

子どもにとって保育園がいいのか、幼稚園がいいのか。親御さんそれぞれで、考え方はさまざまかと。。下の娘は選択肢なく、保育園でしたが
それぞれに、良さ、大変さ、が今もあるのでしょう。
願わくは周囲が、良さにも大変さにも思いをはせ、労苦をねぎらい、共感し、
子どもにはそれらを跳ね返す強さがあると、信じて見守れたらと思います。

かつての舌っ足らずも今や二児の父。
お嫁ちゃんに「なるべく仕事に戻らず、家でお菓子作り、子どもは保育園ではなく幼稚園に」とお願いしているようで。。
彼の記憶の中で幸せだった証と思うようにして、
考えは否定しないようにしています。
その分自分が、とお仕事に精を出しているので、
母としては極力お嫁ちゃんを助けようと
思っとります。召喚されたときだけ、
つかず離れず程度に。。

ディスってきましたが、息子は来月渡米して、
お仕事で英語もなんとか使っているようです。
来年には単身赴任らしく。。
高校中退ですが、子どものチカラ、
信じきることができなかった自分ハズイ。。
ひたすら自戒の念でございまする。。


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