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死だけがあなただけのものになりながら私が自由になる方法
黒い雨に口をつけたような空虚な快楽で人生が満ちていきます。身体を壊すと知りながら渇きに負けてしまいます。
アスファルトに根を張るタンポポのつもりで咲いていても蔓薔薇のような扱いで恭しく手折られてしまう。太陽に向かって勝手に生えてるだけよ。飾るほどのもんじゃないのよ。あたし。
幸せの薬と幸せの痛みと幸せの煙と幸せの飾りと幸せのオルガズムと、ハッピーセットてんこ盛りにしたけれど、喪った愛や壊れた心が再生するわけもなく。幸せだけ頼りない雲みたいに頭の上、浮かんでいる。
天使になった犬や蒸発した友達や逝ってしまった先生に会いたくて苦しい。子どもの私が愛だと信じたものみんな居なくなってわたしだけ生き残っている。神様、返してくれないなら私も選んでよ。気に入らないところ全部なおすから。
死ぬ気になれないと死にたくなる派
だから痛みより快楽に弱い
生きたいって言わせないでほしい
生理中に眠り込むときのような淀んだ心地よさが好きだ。それはつまり、耳の中が肥えたナメクジで隙間なく埋められているような湿った密接が好きということだし、垢と排泄物の入り混じった甘苦さに舌を痺れさせるのが好きだとも言える。いつだって腐りかけのバナナみたいな甘い粘り気に殺されそう。
冬の透明な空気が恋しい。夏の死にたみが与えるのは救済ではなくて、壁際に追い詰められて押しつぶされちゃうような絶望。
ものの目方は殺した方が生きやすい
概念には解像度がある。多面的なレイヤーの構造であったり、正確なデッサンの取り方だったり、物の見え方はいろいろある。そういったものを詳しく理解するほど世界は美しく見えると勘違いしていた。実際、その真逆だ。
白鳥が優雅に見えるのは脚をばたつかせているのを認識していないからだし、富士山が清潔な有様なのは近づいて岩山が見えるようになる手前の姿までのことだ。ぼやけた目で夜景を見ると色々な光が乱反射して綺麗
美大か賢こ大学出身だと思われていることが多い、お情けで先生と学友にフォローされながら卒業させて頂いた緩ふわ大学出。
頭悪くはないが容量がゴミだし、デザインできるほど美意識は真っ当じゃないし、才能があるとしたら世話を焼かれることぐらいだわ。
それだけで大人を通り過ぎていく。
病んでいることじゃなく気が触れることを悩んでいるので、普通じゃないことを許容さえできれば幸せなのだ。目隠しをしてくれ。何も汚いものを見なくてもいいように、そのしなやかな指のほかには。
リスインして眺めるものとして存在している私はいつか墓標のように本の背表紙に名を残せるものだろうか
ここのところ、奇しくもひさびさにエンタメでなく純文学を志すことができている。純文学とは単に書くことではなく、自分が感じたままを表現することの全てのことをいう。私の言葉では。
人目に耐える形にする必要が生じるのは単に展示や催しやお客様などへの配慮を行う場合のみである。心配りをする余力を燃やして存分に残酷な美しさを美しさの残酷を刻んでいける。貴重な機会だ。
咎めるものが無ければ永遠に歌って踊って描
目に見えないものを信じること
産まれてきたばかりの子猫はまだ世界の色すら知らない。かたや、死に向かう年老いた犬は白内障で星を散らしたような瞳でおぼろげな世界を見る。
今際のとき、大好きなあの子を抱くと、確かに私だと認識して暴れることを辞めた。匂いや貌を覚えておくことは、最初で最後のあなたがここにいる証拠。
大好きな人に形があって残るものをあげたい。しかし、その人が死んでしまったら渡したモノも一緒に処分されてしまうだろう。
群れるなら隣人を足場にうずめて
うず高く塔を伸ばし続けるだろうし
独りでは真っ直ぐに太陽へ向かう
背中の羽根が溶ける音を聞きながら
人間は決して赦されないのだ
恋はスリル・ショック・サスペンスすぎ、そのわけ。
自分のこと好きになってくれる人は邪魔者は消せの精神に至りがち。恋はスリル・ショック・サスペンスすぎ。
たとえば平日午後、行ったことのない水族館や植物園で子どものころの話をして、なるべく幸せでいられる間は一緒に居たいだけなんだが…
鄙びた温泉宿やコルシカ島へ逃げるしかないのか?
親密な人付き合いに逃げ道をつくりたがるのは自分は共有物であるほうが負担をかけないと考えるせいだ。
親権を欲しがって