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戒名の話

「戒名の話」

戒名・・・は、亡くなった時にあちらの世で仏弟子になったことを示すこともあり、改めてつけるという「あの世の名」という感じだろうか・・・ドチャクソざっくりと書いたものではあるが。

あちらの世で、お釈迦さまのお弟子になるという考え方でいいのだろうか。
霊的なことを仕事にはしているが、全てを知っているわけでもないしそれは都度都度学んでいかねばならない。

日本に生まれて、どこかの宗派に入られている場合、わりかしセットなのかなと不謹慎なことを考えたりするわけですが。
しかして、絶対につけねばならないと言うものでもない。

我が親父殿は無神教無信徒。
強いてあるのだとした場合「自然宗」と言っていいのではないかと。

太陽が神であり、雨も神であり、風も神でありと自然があるからこそ人間は生き生かされているのだというタイプ。

そんな親父が亡くなって18年にもなる。
おいおい親父殿・・子供が成人するぜww

胃癌であっという間にこの世を仕上がった親父だが、簡単な家族葬で全てを済ませてお骨は家にいたんだが2年ほどした頃か、アホクリスチャンの弟が「いつまであるの親父の骨」とか言いやがって散骨にあいなった。

この後、勝手に家を出て親父がかけていてくれた保険も解約して、勝手気ままに1人暮らしをし生活ができなくなって出戻った。
健常者であるなら「バカ弟」で済むのだろうけど、「障碍者」でありさらにこの時に知り合ったクズ3人組のせいで多大な出費を母がし、私が奔走し、警察ものの事件になる。

そして母はお骨を散骨したあと、棚の上にかなりオープンな仏壇をこしらえて花を絶やすことがない18年だった。
流石に「彼岸花はあげたらだめかしら」と言うので「流石にやな」と。

母もまた無神教無信徒であるが故に、「綺麗な花はなんでもOK」と言う。
彼岸花は根に毒があるので、流石にそこを考えて却下したもんだ。

そして戒名・・などは無論ない。
ある日・・九品寺にいくことがあり、お坊様にふとお聞きした。

「戒名がないとだめですかね」

すると坊様は「なくてもいいんですよ。どこの宗派でなくてもいいです。」と・・・
さらには「残されたものたちが思いを込めて祈ってくださるのが1番ですし、よければお手伝いをさせていただければ私たちも嬉しゅうございます」と。

救われた気がした。
長女なので、鬼滅の炭治郎ではないが「長女なので!」をリアルに頑張ってきていた。
その中で、初めての取り仕切りを行いゴテゴテな面もあり、泣くチャンスを失っていまだに棘は刺さったままだが。

実際に、遺骨は絶対に納骨しなければならないわけでもない。
散骨だって良いわけで今となっては樹木葬もあるし。
当初の母の思いとしては「私が亡くなったらお父さんと一緒に逝くわ」だったので、「ご遺骨を二度焼きとかあるのだろうか」なんて、これまた不謹慎なことをも考えていた。

愚弟の一言で散骨を済ませ、改めて位牌をお願いし「これを抱っこしてあちらへいくわね」と「いやいや長生きしてくださいよ」なんて話をする。

母に持たせるのは父の位牌と妹の位牌と弟の遺骨の1部分。
私には5人の兄弟がいる。
弟を除けば4人は今親父と一緒にいる。

親父に戒名をと心の棘のように思っていた私だが、ふとお坊様の言葉を聞いて「親父が仏門に・・って、はいらねぇだろうなぁ」なんて思うわけだ。
野山を駆け回って、いたずらっ子で育った親父は、たくさんを教えてくれた。
今持って戒名などなく本名のままでいてもいいような気がする。

18年目に思うこと。

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