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青井町役場戸籍係の日常【2】

【登場人物】
私           :主人公。戸籍係歴3年。30歳を目前に控えた女性。
東本さん:証明発行窓口担当。4月に入った新人。
夏木圭三:亡くなった父の戸籍を取りに来た
夏木舞衣:圭三の妻
夏木晋三:圭三の父。故人。


「すみません、ちょっとヘルプをお願いしたいんですが……」

眉をハの字に下げて、東本さんが声をかけてきた。
東本さんは、今年の4月から入ってもらっている窓口専門の職員だ。2か月の研修期間を経て、窓口に独り立ちして早3か月。基本的な窓口業務はほぼ一人で任せられるようになってきたが、戸籍業務に関しては、当初から持っていた苦手意識がまだ抜けていないようだ。

彼女と一緒に窓口に出て、問題の戸籍を見る。
……字が汚すぎる。稀にあるハズレの戸籍だ。手書きで書かれた文字が、ミミズの様に紙面をのたうっている。これは解読に少し時間がかかりそうだ。

「あー……これは確かに読みにくいね。いいよ、代わろう」
「すみません、よろしくお願いします」

お客に了承を取って席を変わる。

しばらく戸籍を眺め、何とか解読が終わり、つながる戸籍を探していく。

今回窓口に来た二人組をちらりと盗み見する。
50代ぐらいの夫婦。旦那は「夏木圭三」と申請書に記名してある。備考欄には「父(晋三)の出生から死亡までの戸籍」と、先ほどまで頑張っていた東本さんの丸っこい字で記載されている。

相続人を確定させるために、故人の出生から死亡まで、存在するすべての戸籍を揃えてこいと言われた、という来庁者は多い。
戸籍というものは、生まれてから死ぬまでの間に何度か作り変えられることがある。法律が変わって強制的に作り変わっていることもあれば、結婚や養子縁組など、各個人の届出によって作り変わることもある。さらに昔のものになると家督相続、なんてもので戸籍が作り変わっている。よって、ご年配の方になると一生涯の戸籍を揃えると4つ、5つになるなんてことはザラだ。

全ての戸籍を発行し終え、ザッと目を通す。ふと、晋三さんの結婚前の戸籍に目が留まる。嫌な予感がした。ゆっくりと視線を動かし、見たくなかった二文字を視界にとらえる。

「ちなみに、今回は相続関係の手続きに戸籍が必要とお伺いしましたが……」

それとなく圭三さんに話を振ってみる。

「はい、なんでも、私にほかに兄弟がいないことを証明しないといけないらしくて。私は一人っ子なんですが、きちんとそれを戸籍で証明してくれってことで……。相続の手続きって大変なんですね」
「へぇ……そう、なんですね」

困ったぞ。これは知らないパターンかもしれない。完全にしどろもどろになってしまった。

「では、簡単に戸籍の説明をしますね」

ええい、腹を括れ。別に私が悪いわけじゃない。
意を決して戸籍を二人の前に並べる。
二人が揃って戸籍を覗き込み、私の指先を目で追っていく。

「まず、こちらの戸籍が昭和改製原戸籍というもので、昭和八年に晋三さんのお父さんが家督相続したことによって作られたものです。晋三さんは昭和12年生まれなので、これが晋三さんの載っている一番古い戸籍です」

二人ともうんうんと頷きながら真剣に戸籍を見ている。昭和12年に生まれた晋三さんは、夏木家の三男としてこの戸籍に記載された。この戸籍は特に問題はない。問題は……次の戸籍だ。

「次の戸籍は、法律が改正になったことで作り替えられた戸籍です。晋三さんのお父さん、お母さん、晋三さんと他の兄弟で作られた戸籍です」

晋三さんが記載された欄を指さす。そこに視線を写してしばらく、先に声をあげたのは奥さんの方だった。

「認知……?」
「……はい。認知ですね」

生涯戸籍を調べていて一番気まずくなる瞬間がいつかと聞かれると、私はこの瞬間を選ぶと思う。自分の父親が知らない子供を認知している。自分と半分血がつながった兄弟がいるという事実を、こんな紙切れ一枚で知ってしまう瞬間。しかも当の本人は死んでしまっていて、問い詰めようもない。

晋三さんは、圭三さんの母と結婚する前に違う女性の子供を認知していた。
つまり圭三さんには、腹違いの兄弟がいるという事だ。

恐る恐る顔をあげると、圭三さんは口をぽかんと開けて放心していた。
対して奥さんは、声を押さえて笑っていた。
対称的な二人に、こちらもどうしてよいものか一瞬思考が止まる。先に口を開いたのは圭三さんだった。

「で、でも!僕が結婚するとき自分の戸籍取ったんですよ!その時、父の所には認知なんて書いてませんでしたよ!?」

圭三さんは、何かの間違いでは!?とでも言いたげな目で問いただしてくる。

以前は婚姻届を役所に提出する際、自分の戸籍と婚姻届をセットにして役所に出すことが決まりだった。それが受理されれば、親の戸籍から抜けて、配偶者と二人で新しい戸籍を作ることになる。圭三さんはその時、普段見ることの無い戸籍をじっくり眺めたのだろう。確かにその戸籍に認知の記載はない。ただ、これは圭三さんが期待するような理由ではないのだ。

「認知事項って、戸籍を作り替えると消えちゃうんですよ」

意外と知られていない事実。私も初めて知った時、何で?と思った。

「戸籍を作り替える時、記録し続けないといけない事と、消しちゃっていい事って決まってるんです。父親側の認知事項は、消しちゃっていいものなんですよ」

対して子供側には誰に認知されたかの記載は残り続ける。父親は、戸籍を作り替えれば消えてしまう。なぜこのように違いがあるのか、いまだに私が納得できる答えは見つかっていない。

元カノの子供を認知したけど、これから結婚する相手にはバレたくない、どうしたらいいのか、と聞かれることがたまにある。その時には、結婚で新しく戸籍を作る場合、認知した事項は新しい戸籍には載りませんよ、と案内してやる。その時の安心したような顔、拳をグッと握りしめただけで殴らなかった自分を褒めてやりたい。


手元の戸籍をもう一度見てもらう。両親の戸籍にいる間、晋三さんの欄には認知の文字が記載されているが、圭三さんの母と結婚して新しくできた戸籍には、認知の記載はなかった。

「戸籍ってなかなか取ることないですからね。ましてや配偶者の結婚前の戸籍なんて、滅多なことじゃ取らないでしょう。亡くなってから気づくってこと、結構あるんですよ」

そう、よくあることなのだ。実際、私が戸籍係に来て早3年。生まれてから亡くなるまでの戸籍を窓口で発行した中でこのようなケースに当たったのは、もう3度目だ。

「で、追い打ちをかけるようで申し訳ないんですが……兄弟、もう1人います」

奥さんは、ついにこらえきれなくなって声をあげて笑い出した。
息も切れ切れな顔は真っ赤に染まっている。対照的に旦那は血の気が引いたようなまっちろい顔になっていた。紅白饅頭みてえだな、と絶対口に出せない独り言を心の中で呟く。

「あははっ!も、お義父さんって……ホント、あははははっ!!」

なんとも明るい奥さんだ。この奥さんの明るさに、何度この旦那は救われたのだろう。けれど今は、この明るさのせいで窓口中の注目を集めてしまっている。周囲からの視線に、なぜか私まで肩身が狭くなってくる。

「取り敢えず、お会計に進んでもよろしいですか?」

笑いすぎて会話が出来ない奥さんに代わって、圭三さんが支払いを始める。

「僕、ずっと自分の名前は父から一文字もらったんだろうって思ってました。けど本当は、自分が父の三番目の子供だったからなんですね……」

一人っ子なのに自分の名についた「三」。幼い圭三さんは、晋三さんに聞いたことがあるのかもしれない。

「どうでしょう……。すべては晋三さんしか分かりませんから」

この日真っ白旦那は、3900円と引き換えに、戸籍謄本の束と顔も知らぬ「一」と「二」の兄弟の存在を手に入れたのだった。

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