見出し画像

青井町役場戸籍係の日常【3】

【登場人物】
私  :主人公。戸籍係歴3年。30歳を目前に控えた女性。
係長 :戸籍係の係長。冷静で頭が切れる。
先輩 :戸籍係歴5年。クール。


戸籍係にとって、最も忙しいのは何月か。
これは役所内部の人からも町民からも、稀に聞かれる質問だ。
とはいえ、戸籍係は毎日が煩雑なわけでは決してない。
戸籍係が忙しいというのは、イコール戸籍に関する客足が多いという事なのだが、こんな田舎の町役場ではそうそう届出がない。
生まれたり無くなったり、そういう自然の摂理的な理由の届出が数件ある日もあるが、まったくの0件という日も少なくない。客足がまばらどころか全くない日もざらなのだ。

なんだ、戸籍係は暇なのか。
そう聞かれると、はいそうですよと頷ければ私も願ったりかなったりなのだが、そうはいかないのが難しいところだ。
今日は、11月22日。戸籍係が暇だと大手を振って言えない理由の一つが、今日という日なのだ。


11月22日。世間では「いい夫婦の日」と呼ばれている。
1年で最も、婚姻届が提出される日だ。
いくら田舎とは言え、この日ばかりは戸籍係も客足が多く、日中はあわただしくなることが予想済みだ。


当日、いつもより少し早めに出勤する。
自席の隣では、いつも始業開始時間ギリギリにしか出勤していない先輩が、すでに仕事を始めていた。私も昨日残してしまった仕事にさっそく手を付ける。数分後、係長も出勤してきた。
7時40分、まだ市民課にいるのは私たち3人だけだ。

「おはよう。二人とも、やっぱり早いね」
「「おはようございます」」

お互い言葉少なにパソコンに向かう。少しでも早く仕事を捌いて、日中に持ち越さないようにしたい。

8時30分、早速窓口の番号が光る。
カウンターに座りボタンを押すと、自動音声が番号を呼ぶ。こちらに歩いてきたのは男女二人組。
想定内の客に、準備していた笑顔を浮かべる。

「おはようございます。今日はどういった届出ですか?」
「離婚届をお願いします」

……ん?
思わず数秒固まってしまう。これは想定していなかった。

すでに記入済みの緑の紙を目の前に出される。
ざっと目を通し、不備がないかを確認していく。その間、目の前の夫婦は何をするでもなく俯いている。チラリと顔をあげると、2人の後ろにいる他の客はほとんどが男女二人組のカップルばかり。仲睦まじ気に寄り添って座り、2人で書いた婚姻届を持って写真を撮っているカップルもいる。

……頼むから、振り返ってくれるなよ。
心の中で今まさに他人になろうとしている夫婦にそっと念じた。

審査のため一旦待合席に戻ってもらい、私も自席に戻る。
机に離婚届を広げ、不備が無いかを確認していると、隣の窓口で対応していた先輩が戻ってきた。

「え、離婚届?」
「そうなんですよ。二人で来たんで、てっきり婚姻届けだと思ったのに」

夫婦そろって窓口に来るぐらいなら円満離婚なんだろうが、何も今日を選ばなくても、とは思う。今二人が座っている待合席のほとんどは、婚姻届けを出しに来たカップルだろう。なぜこんなにカップルが多いのか、不思議に思っているかもしれない。日付も気にせず、一刻も早く離婚したかったのか、たまたま都合のいい日が今日だっただけなのか……真実は二人のみぞ知る。

審査が終わり、再びカウンターに戻り先ほどの夫婦を呼ぶ。

「では、特段不備はありませんのでこちらで受理になります。この後、関係課での手続きに回っていただきます。何かご不明な点はございますか?」
「いえ、特にありません」
「かしこまりました。それでは、戸籍係では以上になりますので、次に健康保険課へ行かれてください」

カウンター越しに会釈をし、去っていく二人の背を見送る。相変わらず会話はなく、黙って連れ立って遠ざかっていく。
先ほど審査の最中戸籍を見たら、あの二人の婚姻日は3年前の11月22日だった。3年前、あの二人はどんな気持ちでここに来たのだろう。どんな未来を思い描いて、結婚したんだろう。
そんなこと、私が考えてもしょうがないことだ。

まだまだ戸籍係の待ち人数は溜まっている。
大きく深呼吸すると、私は次の番号を呼んだ。

パッと顔をあげた若いカップルが、仲睦まじげにこちらに向かってくる。


私は次こそは役に立つであろう、準備しておいた笑顔を浮かべた。

「おはようございます。今日はどういった届出ですか?」
「あ、えっと…婚姻届、出したいんですけど……」
「はい、おめでとうございます。それでは届書を拝見できますか?」

来た来た、ようやく本日のメインだ。
離婚届は仕事中に見てもドラマなどの現実でない場で見ても基本緑だが、婚姻届は実にバラエティに富んでいる。
このカップルが持ってきたものも、二人の似顔絵らしきかわいいイラストとアルファベットで名前がデザインされている。
いつも申し訳なく思うのだが、婚姻届は受理してしまうと返却することが出来ない。折角オリジナルで作ったりしても、二人の手元に残すことは基本出来ないのだ。
なので申し訳なさから、いつも一つ提案をしている。

「それでは受理させていただきます。こちらお返しすることが出来ませんので、受理の前に二人でお写真撮られたりしませんか?」
「えっ!いいんですか!?」
「こちらでよろしければお撮りしますよ」

スマートフォンを預かり、婚姻届を持って幸せそうに寄り添う二人を写真に収める。数枚撮って彼女に確認してもらう。この瞬間は地味に緊張する。過去、何度か撮り直しを命じられたことがあるのだ。

「バッチリです、ありがとうございます!」

先輩には、無駄なことして……といつもため息をつかれるのだが。
この笑顔が見れるのはなかなか悪くないな、と毎年性懲りも無く思ってしまうのだ。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?