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ささやかな幸せ?

「私はたいそうなことは望みません。多少の不平不満はあっても、ただ、家族が元気で、平和に慎ましく生きられればいいんです。」

 多くの人はらこのような「ささやかな幸せ」を守って生きるのが正しいと思っているのではないだろうか?

 けれどもこれからはそのような生き方はもうできない。

 部分は全体の縮図である。ということは、一個人は世界の縮図に他ならない。(一つの細胞の中のDNAに身体全体の設計図が入っているように。)

 自分の中に多少の不幸があっても仕方ない、と考えるのは、世界に不幸な人がいるのは仕方ない、つまり、自分さえよければ他人はどうでもいい、と考えるのと同義なのだ。

 今まで世界中で虐げられてきた不幸な人々は、もはや自分たちの境遇に我慢しきれなくなってきた。それと呼応して「ささやかな幸せ」を守って来た人々も、自分の中に抑え切れない欲求があることに気づき始める。それを抑え込もうとすれば、自分が守ろうとしてきた「平和な」生活にまで支障をきたすことになる。

 自分さえよければいいと世の中の不幸を容認することは、結局自分も不幸にする。

 だから「ささやかな幸せ」ではなく、とことん自分に正直になって、「本当の幸せ」を求めなければならないのだ。

 それは必然的に社会にも大きな影響を与え、とてつもない変化をもたらす。すべては繋がっているからだ。

 本当に幸せになることは覚悟が必要だ。みなその覚悟を決めるしかない。