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藪から棒に文学論 おかしみ論7

「西脇の詩を一つ、紹介しようかしらん。『旅人かえらず』の26番目だ」

昔法師の書いた本に
桂の樹をほめていた
その樹がみたさに
むさし野をめぐり歩いたが
一本もなかつた
だが学校の便所のわきに
その貧しき一本がまがつていた
そのおかしさの淋しき

「これがその、お菓子の美学かい」
「『おかしみ』の美学だね。いつから君は昭和的ユーモアをふりまくようになったんだい」
「ダジャレって言おうか。君との付き合いも長いもんだからね‥」
「僕との付き合いが長いんだったら、もうちょっとハイセンスなユーモアを披露してもらわないとね」
「君のダジャレ攻撃に疲労困憊、ってところかな」
「‥‥」
「‥ふうむ。要するに、立派な桂の樹があると思ったら、なかったんだね」
「どこにあると思ったんだい」
「武蔵野っていう、どこかしら文学的な香りのする地域にあると思ったら、そうじゃなくって、(たぶん)近所の学校の便所のわきにあった、ってことだね」
「武蔵野が文学的なのかい。武蔵野線はどうにも昭和的じゃなかったかい。車両もなんか古臭そうだし、ときどき駅の名前は手書きになっているし、しかも世も末って思うほどに混む」
「おや、詳しいもんだね。君が乗り鉄だったとはね‥。国木田独歩が名作『武蔵野』を書いているじゃないか」
「よく知っているね。ほめてつかわそうか。つまり‥」
「つまり、桂の樹が武蔵野という奥ゆかしいところにあると思ったら、そうでなくって、たかだか便所のわきにあった。これが『持ち上げて、落とす』だね。そこに『おかしみ』があるんだね」
「ご名答」

  武蔵野を尋めど探せど見つからぬ桂便所のわきにありけり

「なんだい、そりゃ。西脇の詩の短歌バージョンかい」
「その通りさ」


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