好きなものがなければ、生きていくことは許されないのか。
語れるほど好きなものがない。
読書、着物、時計、カフェ、文字を書くこと、キャッチコピー、広告、デザイン、絵、インテリア、哲学、宗教、旅行、アニメ、漫画、ラジオ、YouTube、ゲーム、アンティーク、ファンタジー、トマト、廃墟、声優、短歌、詩、美術館、博物館、雑誌
いろんなものが好きだが、語れるほどではない。
誰よりも詳しくなれない私は、それに対して愛がないのだろうか。
何かを愛することは、それに対して誰よりも詳しいこと。世間では詳しさを愛の尺度としてとらえていることがしばしばある。
詳しい人に比べたら、確かに愛が足りないのかもな。と思う。ごく自然に。
「愛の尺度は知識ではない」という人のことも理解できるが、確かに「愛の尺度は知識である」ということも理解できるのだ。
しかし、私の愛を一つに捧げることはできない。
ちょっとずつ、愛を振りまいていてはいけないのだろうか。私の愛の量は、きっと決まっている。それをちょっとずつ、様々なものに与えるのではいけないのだろうか。
「何でも好きは、何も好きではない」
世間からの返事は、いつだって冷たい。
浮気みたいなものなのだろうか。一人を愛せない人間に価値などない、ということなのだろうか。
私は浮気男と一緒なのか。
ちょっとずつ好き。それは不誠実の極みということだ。
これからこよなく愛する何かに出会えるだろうか。ちょっとずつの愛をすべてかき集めて、何かに捧げることができるだろうか。
わき目も振らず、一心に愛してみたい。
そう思って今日もちょっとずつの愛を、たくさんのものに分けていく。
何が好き?
答えられる人間になりたい。
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