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自粛が辛くないと思った時、私は人間ではないことに気づく。

ゴールデンウイーク中、外に出た瞬間は家の目の前の自販機に二度と同じく目の前のコンビニに一度。それだけだった。

私は基本的に自粛を辛いと思っていない側の人間である。

もともと外にはあまり出なかったし、人と会うことも少なかった。買い物も特段好きではないし、外食するほどお金もない。カラオケもいかないし、ゲームセンターもいかない。

もちろん、誰かとご飯に行ったり、飲みに行ったりしたいなーと思うことはあるけれど、どうしても、というくらいのモチベーションは無い。

毎日なんとなく生活していて、GW。ふと、私って人間じゃないのかな、と思った。

人間は社会的な動物だ。けれど、私はどこの社会にも属していないような気持ちになった。安否を心配してくれている人は、家族くらいではないか。そう思った。

いつもの当たり前が、異常だと気づいた時、私はどうしていいか分からなくなる。自分はひっそりと生きていたはずなのに、異分子なのだ。

そして、自分でもわかるほどに明瞭に社会から排斥されているのだ。

孤独を生きることは、一人であるうちは何の問題も無い。一人なのだから、寂しいとも、それこそ、孤独だとも思わずに済む。

しかし、周りに人間がいて、社会にぽっかりとできた虚空の中に自分が居ることに気づいてしまうと、孤独は途端に身に染みる。

誰かと上手く生きていきたいと思うけれど、私にはそんな人を見つけられそうにはない。

それでも、せめて孤独を楽しむ余裕だけは忘れずに生きたい。もし、未来、誰かと過ごすことになるのなら、その前に孤独でなければできないことをやり尽くしておきたいと思う。

そう、思う。

***

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ひととせ暮らし ~来世も縁側で~

#ステキブンゲイ

「僕の最後の女性になってくれませんか」
八尾すみれにそうプロポーズしてくれたのは、絵にかいたような優し気な雰囲気の紳士・森糸翠先生だった。

キャリアを捨てたすみれがたどり着いた場所は、翠先生が営む下宿。
縁側のある日本家屋に流れるゆったりとした時間の中、翠先生の四季を大切にした丁寧な生活に触れるうち、疲れたすみれの心は癒されていく。
28歳と48歳の年の差や先生の癌、女が仕事をするということ。人生に立ち止まったすみれが見つける、小さな幸せと愛の物語。

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