パブリックに晒すことができない思考は、どこに置けばいいのだろうか。
わたしたちは、どこかでマジョリティで
どこかで、マイノリティだ。
完全にマジョリティな人間も、
完全マイノリティな人間も
きっといない。
マイノリティを救おうとする人は
マジョリティであることが
ほとんどなのではないだろうか。
それは、偽善なのだろうか。
マイノリティはマジョリティと
わかりあえるのだろうか。
わかったふうに思われるのは
嫌なのだろうか。
精一杯の共感に
虚無を感じるのだろうか。
私は、どうなんだろうか。
精一杯の共感も、わかったふうに
思われることも、きっとなんとも
思わないんだろうな。
ただそっと。
そっとして欲しいだけ。
そして、時々きちんと
愛されているのだと
わからせてほしいのだろう。
愛される迷惑が、
結局欲しくなるんだろう。
我儘な話だ。
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