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忘れ隊

忘れたい。
でも、忘れたくない。

そんな感情を持ち合わせている人を
「忘れ隊」と呼ぶことにしよう。

「忘れたい」という感情が芽生えた瞬間に
そのモノ・コトは、
忘れない事実へと進化する。

「忘れたい」は、忘れたくないんだよ。
忘れたいと忘れたくないという二つの異なった感情がぶつかっては、
反発し合う。

(本当は忘れなくてもいいのに。)

忘れちゃう出来事は、
頭の中できちんと整理された状態で箱に詰められている。
そして自然と忘れるように出来ている。

忘れちゃうモノは、忘れてしまうし、いずれ忘れるから。
心配なんかしなくていいんだよ。

忘れちゃうモノというのは、
「忘れたい」にはなりきれないのだから。

「忘れたい」モノの事実・存在こそが美しいのだと
私はそう思う。

忘れたいkotoは、忘れないよ。
忘れちゃダメなんだよ、

本当は忘れたくないんだよ。

最初から忘れる必要なんてないんだよ、

(もういい加減気付きなよ、ねえ)

そう言い聞かせながらも
生きている過程できっと
「忘れたいコト」というのは生まれてしまうのだろう。

その度に
「忘れたい」
「でも、忘れたくない」
が反発し合う。

その結果、初めて
「思い出」として完結するのではないだろうか。

忘れ隊の皆さまへ

今日も忘れなくていいんだよ。
忘れていモノは、気付いたら忘れているから。

じゃあ、また。

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