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(18)家族への革命。史上最高を更新し続ける愛。母編。

「愛されてなかった」というとんだ勘違いに気がついた


大学を辞め
まずヴィパッサナー瞑想合宿に行き
そのあと当時のパートナーと共に
インドへ半年行くことに決めた。
インドは何があるかわからないし
無事に日本に生きて帰れるとも限らないしなと思い、インド前に新潟に行き、家族に会いに行った。

そしてこの時の帰省で、
わたしは自分の中の「とんだ勘違い」を改めて、そして心から、実感した。それはお母さんとわたしの関係。

結論から言うと、様々な状況の中でお母さんからのわたしへの愛はずーーっと「そこに在った」ということ。

ただ、うまく届けられなかっただけ。
ただ、うまく表現できなかっただけ。
ただ、うまく受け取れなかっただけ。

はじめて、そう思えた。
はじめて、そうわかった。

お父さんからは小さい時からずーっと、《まゆのことが大好き》っていうのが伝わっていた。でもお母さんからは、それをあまり感じてこれなかった。

わたしは、
「お母さんはまゆのこと愛してなんかいなかった」
「お母さんはいつもまゆよりお兄ちゃんの方が好きなんだ」と、そう決めつけてひねくれていた。


離婚後のお母さんは、精神的にもしんどかったから常に彼氏がいたし夜のお仕事もしてたので、まゆは夜間託児所に預けられてたんだけど、育児放棄的な側面もあったようで、とある日におばあちゃんが、その時わたしとお母さんが暮らしてたお母さんの彼氏の家に張り込み、夜遅くに彼氏と帰ってくるお母さんに「あんたまゆはどうしたの」と言い、お母さんは『家にいる』と答え、「まゆが泣いたらどうするの」と聞いたら『泣かなもん』と言ったらしい。それにおばあちゃんがぷちんと切れて「あんたは母親失格です」と言い、まゆを引き取ったのだと中学生のころに聞いた。

引き取ってから、おばあちゃんはたんまりと愛してくれた。いろんなところに連れてってくれた。言葉を話さないこどもだったわたしは気が付けばおばあちゃんに似て、初対面でも誰とでも仲良くなれるおしゃべりな人間になっていた。

高校生までわたしはおばあちゃんちに住んでて、おばあちゃんちから、小中高を通った。週の数日はお母さんちに泊まったけれど、愛着形成の大事な時期にあまり一緒にいなかったわたしたちは、なんだかぎこちなくて希薄な親子関係だった。


ある出会いから、芽生えた「産んでくれて、育て続けてきてくれてありがとう」という感謝


わたしが大学を休学し、東京に住んでいた頃、最寄りの駅で、「世界平和は、家庭の平和から」という理念を掲げているある宗教団体の人による街頭アンケートに応えたことがあった。

そのアンケートの用紙に
「父親の愛、母親の愛とは、それぞれどんなものだと思いますか?」みたいな問いがあって、ちょうど自分の中でも、親子関係と向き合っているところだったので、『お、これはおもしろい!』となって、いろいろ話が盛り上がって、そのあとカフェに行って、わたしの家族のこと、生い立ちのことなど、その宗教の人とたくさんしゃべった。
そしてなんと教会がそのときわたしが住んでたアパートから徒歩で行けるところだったので、講話を聞きに、たまに通うようになった。
ノアの箱舟とかそういうのは、よくわかんなかったけれど、その宗教の講話で父親の愛や母親の愛などが言及されている中で、わたしの中に生まれて初めて、お母さんに対して、
「わたしを産んでくれてありがとう」という気持ちが芽生えたのだ。
お母さんもお母さんで、しんどかっただろうに、大変だっただろうに、殺しもせずに捨てもせずに、育て続けてきてくれたことに、生まれて初めて心の底からの感謝が芽生えた。


そこから、わたしのなかのなにかが溶け出して、わたしはお母さんへの感謝の気持ちに素直になれた。そこからわたしたちの関係はどんどん変化し、いいものになっていった。

お母さんの中に在る、愛をすごく感じるようになってった。



あまりの変化っぷりにわたしはつい
「めっちゃ変わったよねえ!?どうして?!」と、聞いてしまったほど。
でもお母さんは
「何にも変わってないよ。まゆが変わったんじゃない?」と言ってきて、びっくりしたのを覚えている。

自分の中にある
その人への感情が変わったら
目の前の現実や
目の前の関係性は
こんなにも変わるのだと、実感した。



「お母さんはわたしを愛してた?」という世界一こわい質問


それでもずーーーっと怖くて聞けなかったこと、それは、「お母さんはわたしが小さいとき、わたしを愛していた?」って質問。
それを、インド前に勇気を出してついに聞いたのだ。

その質問は死ぬほど怖かったけど、もしインド中にどちらかに何かあって二度とお母さんと会えなくなったとしたら、わたしは後悔すると思った。

どうしてもその答えを、お母さんの口から聞きたいと思った。

そしてその答えは
『うまく愛せていなかった。若かったしそういうのわかってなかったんだと思う。下手だったんさ』

(わたしの中の何かがほどけた)

わたし『でもお母さんの中でわたしへの愛は生まれた時からあった?』

(めっちゃ勇気出して聞いた)

母『そうじゃなかったら、今こうなってないでしょ』

とお母さんは言った。

口下手なお母さんらしい答え方だった。
「そうじゃなかったら」ということは
「そこに愛はあった」ということ。

「お母さんはわたしを愛しているのだろうか」
「お母さんはわたしを愛していたのだろうか」と
ずっと不信感があったわたしは
そのお母さんの言葉を聞き、涙が溢れた。

そしてお母さんがひとこと、
涙目になりながら
「ごめんね」と言った。

その瞬間わたしたちはとっさに手と手を取り合って、ふたりで泣きあった。



生まれてから
まゆに対してお母さんの中に
ずっと愛は在ったということ、
でも若かったしよくわからなかったこと
どうしたらいいのかわからなかったこと
そしてそれに対する「ごめんね」を
お母さんの口から初めて聞いた時、

わたしの中にあった、
大きな何かが
音を立てて崩れ、溶けていった。

わたしたちは、21年目にして
初めて、正直な気持ちを言葉にしあい
分かり合えた。
心の手を繋ぐことができた。



さようなら 被害者ぶってたわたし 赦せなかったわたし

わたしは、お母さんが水商売をして働いてて、常に男の人とお付き合いをしてたことから[母親]である前に、[おんな]であるお母さんを許せなかった。

お母さんは
まゆより仕事が大切で
まゆより彼氏が大切なんだ
気付いたら、そんな思い込みを強く強く持ってた。そして「母親失格」のレッテルを自分の母親にはっつけていた。母親なのも、おんななのも、いち人間なのも、変わらない1人の人間なのだ。


もう、お母さんを許して、これらの概念を、手放すときなんだと思った。「おんな」の面を見せるお母さんへの抵抗感が生まれた自分がいた、お母さんがいまお付き合いしてる人と幸せそうな姿を素直に喜べなかった自分がいた。でももうそんな自分とさよならできた。赦すことができたのだ。

あれからお母さんに訪れた気付き

ここ5年でそんな大きな変化があり、わたしたちは再会するたびに当たり前のようにバグができるようになった。

これはとんでもない成長で、大学休学してる21歳のころ、物心ついてから初めてお母さんに「ハグしよう」って言った時、死ぬほど怖かった。ハグなんてしたことがあったのかも分からなかった。言い出せなくて緊張した。でもいざ言えてみたらお母さんは思ったよりあっさりハグしてくれて、わたしはひどく安堵したのを覚えている。

それからは新潟に帰るたびに
寝る前やバイバイするときに
わたしたちはハグをしている。

1番最近新潟に帰った時、
お母さんの誕生日だった。

わたしはうたをつくった。

ああ、わたしを産んでくれて
ほんとほんとうにありがとう
ああ、あなたはわたしのこと
ずっとずっと愛してくれてた
ああ、それなのに気付けなくて
ほんとほんとうにごめんね
あなたがくれたこの愛を胸に
わたしはこれから生きてゆく

という歌詞。

恥ずかしくて照れくさくて
直前まで「やっぱ歌わなくてもいいかな」とか思ったけど、腹をくくってお母さんを部屋に呼んでうたった。

恥ずかして
緊張して
声は震えた。
でも歌った。

そしたら目の前で聴くお母さんは
ぼろぼろ泣いてた。

そして『まゆは、ごめんね、じゃないんさ、謝らなくていいんさ、ママが悪かったんさ』って言ってきて、お話をしてくれた。

それは、実はお母さんの中に
『まゆはおばあちゃんがいるんだからいいじゃん』って思いがあった、ということ。

それだから確かに、まゆとお兄ちゃんに対して、扱いの差はあった、ということ。
それを伝えてくれた、認めてくれた。

お母さんは、自分のお母さんに頼れなかった、甘えられなかった、ちゃんと話もできなかった。

でもまゆはおばあちゃんに大事に大事に育てられて、支えられて、仲も良くて、ちゃんと話もしてて。きっとお母さんのなかでまゆに対する
「ずるい」っていう感情、
お母さんの中の小さなお母さんが拗ねていたんだとわかった。

だから、
まゆよりお兄ちゃんを大切にしていたと
そんなとんでもなことをお母さん自身が
素直に認め、話し、謝ってきてくれたのだ。

こんな日が来るだなんてわたしは思いもしていなかった。

ずっと、
「お母さんはまゆよりお兄ちゃんの方が好きなんだ、大事なんだ」そう思ってきたまゆの気持ちが、当のお母さんに理解されるだなんて思ってなくて、まゆはわんわん泣いた。

またわたしたちは
お互いに泣きながら強く抱きしめあった。

お母さんはあったかかった。


誰にだって過去は変えてゆける。

人との関わりにおいて
そのひとが
なにを感じやすいか
どんな思い込みを持ちやすいか
それは親子関係に出ると思っている。

そこにある傷
そこにある思い込み
そこにある記憶
そこにある感情

すべては塗りかえてゆける。
過去は変えられる。
過去とはただの「事実に対する解釈」だから。
過去とはただの「その時感じた感情」だから。

過去はいくらでも変えられる。
今があれば。

今は、誰しもに、平等に、ある。

今、自分が持つ解釈が変われば
今、自分の胸にある感情が変われば

過去の見え方は簡単に全く別のものになる。

だから、だいじょうぶ。

ぶつかったときもあった
喧嘩した時もあった
借りた服をお母さんになげつけたこともあった
言葉で傷つけあったこともあった
遠慮しあったときもあった
許せないときもあった
縁を切りそうになったときもあった

それでも、いま私たちは
確かに想いあい
そこにただ在る愛を、感じ合えている。

聞きたいことを聞く勇気
「だいすきだよ」「ごめんね」「ありがとう」に素直になる勇気

たった、それだけなんだよね。

今は胸を張って言える。

あなたがわたしの母親でよかった、と。
たくさんしんどい中で、今日までずっと
まゆの母親でいてくれて、ありがとう、と。

確かにおばあちゃんに愛されて
大事に大事に育てられてきたけれど
まゆにとっての「母親」は
この世界にたったひとり、あなただけなんだよ。

あなたが欲しかったんだよ。
あなたじゃなきゃだめだったんだよ。
あなたに見てほしかったんだよ。
あなたに聞いてほしかったんだよ。
だから、さみしかったよ。
だから、かなしかったよ。
でも、それだけ、だいすきだったんだよ。

その想いをちゃんとあなたに伝えられるわたしになれてよかった。あなたからのだいすきをちゃんと感じ取れて受け取れるわたしになれてよかった。伝えられる限り、たくさんたくさん、ありがとうとだいすきを、伝えてゆくね。

だいすきなお母さんへ。
Mi amas vin.







とってもよろこびます♡