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(22)岐阜と群馬でやった〈リトリートハウス〉という宿


リトリートハウスという宿


日本中を車中泊旅した結果、岐阜の森が気に入ったので次は岐阜県内中を車中泊旅して、空き家探しの旅をし、無事に出会えたおうちで「リトリートハウス」という宿をやった。

リトリートハウスとは、

普段いる日常から離れて(retreat)疲れをとったり、自分と向き合ったり、自然の中で過ごしたり、からだに優しい自然なごはんを食べたり、ヨガや瞑想をしたりと、自分を癒し、休ませる(treatment)ために泊まりに来る宿だ。

リトリートツアーとかはよくある。
それの宿バージョン。
まだ日本ではあまり聞きなれない言葉だ。日本だと、宿泊業というとホテル、旅館、民宿、ゲストハウスくらいの分類しかない。

でも実は欧米の方ではメジャーになってきている。↓

わかりやすいサイトから引用

 


身近だった「リトリート」

地球一周の船を降りてからは、大学生をやる傍らで、とにかくピンときたところに足を運んでいた。会いたい人がいれば会いに行き、行きたいと思うイベントがあれば参加し、読みたいと思う本があれば読み、気になる宿があったら泊まりに行った。

そんなわたしが足を運ぶ先にいる大人たちはみんなほんとうに魂から満ちた人生を送っていた。豊かだった。

そしてその中には、[リトリートツアー]や[リトリートハウス]を生業に企画・活動しているひとたちがいた。

前回の記事の中にヴィパッサナー瞑想のことを書いたのだけどたぶん、vegan、自給自足、瞑想、ヨガ、などの世界に足を踏み入れると[リトリート]という単語や概念が身近になる。

わたしの場合はすべてのきっかけは船を降りてから、ヒッチハイクで通ったニセコの自給自足研究所というところだ。ここで暮らす人との出会いから、わたしの新たな世界は広がった。


第1弾 岐阜の宿

岐阜県内中を車中泊旅して、見つかったおうちですぐに念願のリトリートハウスをオープンさせた。

この宿の最大のコンテンツは、誰の目にも触れない森の中で、生まれたままの姿になって自然の中に溶けることだった。宿から車でちょっとのところに秘密基地みたいな裸になれちゃう森があった。

すっぽんぽんで森の中であそんでた
泊まりに来てくれたひとともいっしょにすっぽんぽんに(もちろん希望する人のみ)
握ったおにぎりをもって森でピクニックもよくしてた
幻想的な森なのです
庭で採れたミントとレモンのお水や、
庭になっていたキウイの葉っぱをお皿にしてごはんを出したり
お肉は使わず野菜中心のごはんを作って
みんなで食べてた


自然の中に行く時はほぼ必ずおにぎりを握って出発🍙



裸になるのは、
人間が自然の一部なんだってことを
肌感覚で体験するため



もちろんそんなことをしていて、
まゆに対して嫌悪感を向ける人もいた
頭がおかしいと言われたりもした。笑
でもそれは、まだ日本がまゆに追いついてないだけなんだと解釈することにしてた。


そんな感じで、岐阜の宿では
みんなで自然の中で泳いだり
すっぽんぽんになったり、
おにぎり握ってピクニックをしたり
川であそんだり、
ただ自然の中でぼーったしたり、
時間を忘れて「なにもしない」をしたり、
一緒に瞑想をしたり
一緒におうちの畑の野菜を採って野草を摘んで食べてみたり
veganスイーツづくりをしてみたり
温泉にはいったりしていた。

たくさんの人が
そこでまゆが宿をやっている
ただそれだけの理由で
岐阜県の東白川村という
足を運んだことのない地へと足を運んでくれた。

「わたしも森の中ですっぽんぽんになってみたい!いつ泊まれる!?」という連絡が結構来て、
ああ、やっぱり人間は自然の中に溶けたいという根源的な欲求があるんだなあ
ってことを再確認した。


お湯がでないおうちだったので
寒くなる前までという期間限定の宿だったんだけど、
とってもうれしくて
とっても楽しくて
とってもしあわせだった。

第2弾 群馬の宿

岐阜は、ひとと自然がつながる宿
群馬は、ひとと人がつながる宿だった。

コロナ真っ盛りの時に開業届を出し、ネットで見つけた離れ・庭・畑・駐車場付き9LDKの一軒家を内見して契約。愛媛からシェアメイトが住みに来てくれて、シェアハウス兼リトリートハウスをやっていた。

ここではとにかくにんげんの美しい景色をたくさん見させてもらった。 

下のInstagram投稿で書いてる
きぼうのいえをオープンさせるときに
書き出したまゆのみたい景色ってもんは
本当に全部見れちゃった。
 
 ↓

【みたい景色】

きぼうのいえで、
わたしが見たい景色は
泣いてしか話せないような
その人の核心・真実を
安心して吐露できること、
言葉にできること、
そのひとりの勇気に
共に暮らすひとたちが共鳴して
喋ってるひとが泣いてたはずが
聞いてるみんなも泣いちゃってて
その状況にみんなが泣きながら
げらげらと笑っちゃってる
そして存在が愛おしくって愛おしくって
みんなで抱きしめ合う
そんな景色。

シンプルだけど
ほんもののおいしさのごはんを
みんなでじっくりゆっくり噛んで
喋りすぎず食卓を味わって
昼間は川とか森とか温泉とかみんなでいって
わちゃわちゃ子どもみたいに
全力ではしゃいであそんで
夜は手繋いで道路に寝そべって
きれいな星空を見る
そんな景色。

なんともなく
共に同じ空間に在ることを味わったり
なんともなく
それぞれの表現やアートが重なったり
ひとりひとりの『this is me』が
きらきらしてる
そんな景色。

ひとが
人と繋がり
自然と繋がり
動物と繋がり
それらぜんぶが愛で繋がってる
そんな景色。

何にも急かされず
何にも怯えず
それぞれが
好きなように
リラックスしながら
何かをしたり
何もしない ということをしたりしてる
そんな景色。

生まれてるままの
感情を、本音をそのままに
分かち合える
ここでの関係性が
真の カゾク と感じれて
みんなの心の中で
また帰ってきたいと
そう思えるhomeになっている
そんな景色

2020.05.13

自分のする宿が
自分のつくる空間が
自分のする生業が
自分の魂のどストレート喜びだった。

本当にしあわせだった。
そもそもなんで「きぼうのいえ」って名前にしたの?ってところの経緯がこちら↓

今から3年前。わたしのパートナーがトランスジェンダー  として生きてた頃、ゲイのお友達が、『結婚もできないし、孤独死するの絶対嫌だなあ。心配だなあ。だからさ、このメンバーでシェアハウスしようや!!』ってなって、パッと浮かんだ名前が《きぼうのいえ》でした。すごくわくわくしたのを覚えてる。
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始まりは、
制度に守られない
国に守られない立場の人にとっての
きぼう。
だったけれど、
いまわたしの中にあるのはもっと広いいみでの きぼう。
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わたしは、親との関係も悪くってパートナーとも壊滅的だったころ、自分と向き合いだしたら、投影と反応の連続だし、核の部分から遠い『ほんとう』じゃない会話が苦しくってたまらなかった。お金がなかったわたしに居場所なんてなかった。
泣いてしか話せないような自分の部分を、安心して話せる場、変にアドバイスが返ってきたりするんじゃなく、ただ、受け取られる場所、安心してそこで ただ生きてられる場 、そんな場所が欲しいとずっとずっと思ってた。
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だからそんな場をつくるよ。
そんな場になるよ。
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ひとつくらい社会に逃げ場があったっていい。そこでまた自分の足で歩き始めれるのなら、いくらだって休んだらいい。
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誰かに褒められるためじゃない
誰かに評価されるためじゃない
誰かに賛同されるためじゃない
周りの目を気にして生きるんじゃなく
自分の本音に正直に
自分の自然に正直に
自分の魂のままに、したい表現をするとき、それは唯一無二のアーティストなのだと思う。
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本来みなが、アーティスト。
けれどこの世の評価や価値基準によって、傷ついてきたひとや、自信がどこかにいっちゃったひとも多いはず。
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人間って
傷ついてきた痛みを
味わってちゃんと泣けたなら
必ず自然と前に進む生き物だから。
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安心してそのままでいて
安心して『ほんとう』に触れて
安心して表現して
安心して生きれる場所を。
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そして、
どんな社会だろうと
どんな当たり前・常識があろうと
【希望とは自分自身なのだ】と、
そう思えるひとが、増えますように。
.
そんな、『 きぼうのいえ 』はじまります。

2020.05.09
きぼうのいえをやっていた9LDKの離れ付おうち
壁紙をみんなで貼り替えたお気に入りのお部屋
みんなで音楽したりイベントしたりごろごろしたりする和室兼、よるはここが客間に
性と生のイベントをやったときの
ピアノとうたの、コラボ音楽イベント
たのしくみんなでうたって
子どもも泊まりに来てくれた
涙とハグに溢れるきぼうのいえ
小さなことにおめでとうって乾杯する文化
お庭にある畑もみんなでつくった
植えてちゃんと作物がなった
畑で採れた野菜をつかったごはん
みんなでつくって食べて
泊まりに来てくれた人と染め物もしたよ



とことん深めたからこそつぎは
幅・拡がりが欲しくなった

自分の拠点を持ち、自分のやりたいことは全部やった。
シェアハウス兼、リトリートハウスという宿をやる中で、自分のど本質の喜びはほんとうに深められた。

だからこそ次は【拡がり】【カラフルさの幅】が欲しいって思った。より立体的な世界を創るために。
まゆの宿には「まゆに会いたい人たち」が泊まりに来る。そりゃあご対面すれば素晴らしい時間となる。
でもそれだけをずっとやり続ける人生はいやで、もっといろんな人間に出会って、いろんな体験をして、もっといろんな目にあって、もっといろんな感情を味わいたいと思った。

セラピストとしてのフラワーレメディーのお仕事も宿でたくさんやったし、
「性と生を語る会」「実はわたし・・・の会」「群馬で生きる20代が集まる会」「遺書企画」などなど、自分がやってみたかったイベントもたくさん企画したし、泊まりに来てくれたひととは必ずハグをして、やわらかな会話、深いつながりを、泊まりに来てくれた一人ひとりと、交わし合った。

どストライク魂の喜びなお仕事をして、ほんとうにこれ以上ないってくらいに喜びだった。なのに、当時のわたしはその状態にある種のつまらなさを感じてしまったのだ。

自分の喜びを追い求めるものだけれど
ひとは、喜びだけの人生は望んでないのだ。
うまくいかないことや
どうしようもできないことや
悩み・苦しみがあるからこそ、
その喜びは身に染みる。

ビールを1番うまく飲むには
へろへろになるまで頑張ること。

毎日喜びの中悠々と生きて飲むビールは
たいして美味しくないのだ。

だからこそ、ビールがうまく感じれるための環境や体験や感情を求めに、自分の宿業というどストレート喜びな生業を一度手放した、という感じだ。

当時お付き合いしていた4年間のパートナーシップが終わったのがとてもいいきっかけだったので、それを機に宿をたたみ、群馬を出て、とりあえず東京に行くことにした。

東京にいったのは「とりあえず」だった。
次の自分の拠点が見つかるまでの。
ところがどっこい「とりあえず」のはずがもう「1年半」東京の地で生きている。自分が1番驚いている。自然だいすきなまゆが、東京で生きれるはずなんてないと思っていたからだ。

そんなまゆが東京に生きる理由、物語のまとめを次の記事で紹介して、そこで一旦、このまゆ自叙伝を終わりにしようと思う


読んでくれた人、ありがとう。




とってもよろこびます♡