Vol.2 第一回うつ病との歩き方
おはようございます。
こんにちわ。
こんばんわ。
男子校出身の繭果です。
前回は、性同一性障害(性的違和)にを抱える私について書きましたが、今回は同時期に発症した「うつ病」について、うつ病との歩き方。というかたちで書きたいと思います。
まず、タイトルで「第一回」と書いたのは、後に「第二回」があるからなのですが、それはまた後ほど書きたいと思います。
第一回うつ病になったのは、
大学卒業後に初めて就職したシステムエンジニアをしていたとき。
残業自体はかなり多かったけれど、人間関係も良好であったり、今思うと、うつ病になるほどハードではなかったな。と思うのですが、当時は「自分の性別について」の悩みが重なったこともあり、業務続行できない状態になっていました。
初めて行った心療内科。
担当医と話をし診察を受けると「うつ病ですね」との診断。
診断名を聞いた時のあたしは、「あぁ。うつ病なのか。それなら仕方ないね」と、何故か診断名がついたことに安堵した記憶があります。
しかし、大変だったのはそこからでした。
まず、診察の時に「仕事の悩み以外での悩みはありますか?」と聞かれた際に、私は意を決して、
「自分の性別について悩んでます」と伝えたのですが、予想外の返答に愕然としました。
先生からの回答は、
「群馬県には専門医がいないからね。いれば紹介状もかけるんだけど…難しい問題ですね」と。
さらりと流されてしまいました。
うつ病の治療自体は、投薬治療だったのですが、まあ、薬が通院のたびにコロコロ変わる。
診察でのやり取りはこんな感じ
先生:「前回出した薬はどうでしたか?」
繭果:「1日、ぼぉーっとしちゃってました」
先生:「じゃあ、薬変えましょう」
こんなやり取りをずっとしていました。
最後の方にはこんなことも言われました。
先生:「今の薬でもだめなら入院しかないですね」
そもそも、性別の悩みの回答をもらったときから、不信感しかなかったため、言われたままに聞き流して月日は2年ほど流れました。
いよいよ、働かないとまずい。となったのですが、前職はシステムエンジニア。
コンピューターとしか会話をしていなかったため、人との会話の仕方を忘れ、激しい人見知りになっていました。
まずは、薬漬けの心療内科から卒業しなければならない。と、
ほんとは絶対にダメなことではありますが、
「自力での断薬」を行いました。
理由としては、「この病院に通っていたらずっと薬を飲まされるのではないか?」という強い思いがあったからです。
ちょうどそろそろ働かなければという時期に、
知人に誘われ、俗に言う「オカマバー」に気分転換も兼ねて行ってきたのですが、
今思うとと、ここで「1つの人生の転機」がありました。
続く…
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