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処方箋は「雑巾掛け」:漢方医中田英之先生との対話#1

通っていた鍼の先生から紹介された、練馬総合病院漢方医学センター長(当時)の中田英之先生。軍医として医者のキャリアをスタート、次第に漢方や東洋医学の造詣を深め、今は医療を超えて人の身体を捉え寄り添っていらっしゃいます。その生き方・考え方にすっかり魅了され、時々中田先生とおしゃべりしてそれをブログにする、という自主企画を始めることにしました。ブログタイトルは「必ず自分の山はある」。今回はその1回目です。

山崎:外来の診療でランチの時間もなかったのにお時間いただきありがとうございます。

中田:今日来た患者さんの中に、右膝が最近調子悪くなって足がむくんでいるので、どうにかならんか、っていう人がいたんです。

見るからに、この1−2ヶ月で体重が1キロぐらいは増えている。その人に言ったわけ。「たかが1キロ、されど1キロ」って。体重がたかだが1キロ増えただけでも体への負担が全然違うんです。

僕は山伏の修験道で山に入るのですけれど、1日に必要な水を背中に背負って行くのですね。朝、出立前にリュックを背負ったときにその水の重いこと。お昼過ぎになって水が減ってくるとね、特に降りの時の膝の負担が全く違うんですよ。そういう体験を持っているので余計にね、この1キロが気になるわけでして。

例えるならば、これは「過積載」ですよ、という話です。過積載でトラック走っていて、サスペンションがへたりました、そういうことなんです。へたったサスペンションに油をさしたり、特殊な強化剤をつけたりしても、結局は早くダメになってしまうでしょう?もともとの積載量がそれだけあると、なにをやっても焼石に水なわけです。同様に膝にヒアルロン酸をいれたり、水を抜いたりしてもね...

なぜ人がその行動をするのか、その理由までおりていく

中田:つまり体重を減らすべきなのですが、そこで僕は「食べるのを減らせ」という言い方はしません。食べてしまうにはみんなそこに理由がある。それを少しずつ聞いていきます。どうして食べてしまうの?とその患者さんに聞くと、最近間食が増えている、と答えました。なぜ間食が増えているの?と聞くと、外に行かなくなった、と。さらにどうして外に行かなくなった?と聞いていく。

理由なしに人間は行動をとりません。その行動が体を壊すものならば、体を壊してまでその行動を取らなければいけない理由はなんなのか、その人の物語を知らないといけない。

つきつめていくと、自分自身を受け入れていない、とか、ちょっとした誰もが持っているような心のあり様や感情が根っこにあったりする。それがわかると、少しずつでいいので自分が見ようとしてこなかったことに目を向けて、自分を受け入れるということをやっていけば、自然と行動も変わっていく。

これは最近、narrative medicine(物語の医学)と言われています。残念ながら現代の医療は、ダメなものはだめ、するな、としか言わない。でも、するな、と言われただけでしなくなるような人は、そもそも最初からそんな体を壊す行動をしないんですよね。そして往々にして「ダメですよ」とだけしかいわないから、劣等感や挫折感だけを植え付けるだけ植え付けて、患者さんの行動は変わらない。

山崎:ああ、そうですよね...で、罪悪感で診察にすら行かなくなったり。

処方箋は「雑巾掛け」

中田:もう一人、糖尿病の患者さんが来ました。一年ぐらいインスリン注射をしていて、最初の1-2ヶ月はインスリンがすごく効いていたけれども、だんだんと効かなくなってきた、ということで僕のところに来た方です。

その人への2回目の診察で出した僕の処方は「毎日雑巾掛けをしてください。そしてこれから1ヶ月の間に2回高尾山に登って下さい」というものでした。

そうしたら「すっかり体がよくなって、インスリンをうたなくてもよくなりました。今日は3回目の診察で、もう大丈夫なので最後の診察にします。」って。

その人はこう言ってましたよ。

雑巾掛けが処方箋だなんて、もう衝撃でした。最初に言われたときはふざけているのかって思ったのですが続けるうちに、どんどん本当に体がよくなって。『雑巾掛けショック』ですよ。先生がおっしゃっていたように、要は体を動かせばいい、という単純なことだったんですね。」

山崎:すごくシンプルでかつ本質的なお話ですね。でも、総合病院としては診療報酬の収入という意味では、なんで薬を処方しないのか、ってなっちゃいますよね...

中田:だからという訳ではないのですが、実家に1人残した父が年老いてきたので近くにいたいということもありかつ、自分が正しいと思う医療を信念を曲げないでするために、今回病院を辞めて実家のある奈良に帰ることにしました。あと某大学の特任助教だったのですが、肩書きがあると言えないことが多いので、それも辞めました。残した肩書きは、上智大学神学部だけです(笑)。あと、金峰山寺の山伏の中先達。

山崎:幼少期からカトリックでいらして、上智大の神学部で講座も持っていらっしゃるんですよね。

中田:親が神父だったので小さい時から教会には連れて行かれていました。でも神父さんに自分がこういう悪いことしましたと告白をする「告解」、というのがすごくいやでね。今回はどれを告白しておこうかな、と当日の神父の顔色を伺いながら告解する。子供心にその違和感を感じていて、ついには告解がある日には教会に行かなくなってしまった。

さっき話した糖尿病の患者さん、最後の診察日に実はカトリック教徒だと言ってくれてね。問題の告解のにまで話が及んだのだけれども、そこで生まれて初めて、告解をやってもいいかな、と思ったかもしれない。

ヨガを通じて自分の内面と向き合うようになった

中田:ヨガの指導者齋藤奏さんと出会ってから、自分の診療と連携する形で斎藤さんに患者さんたち向けのヨガクラスを開いてもらったのですね。そして、自分でも斎藤さんに教わってヨガをするようになって、自分と向き合うようになりました。そうすると、告解で本来告白する内容は、日々の罪をいちいち言うということではなくて、自分と向き合い気づいたことを言葉にすることだと気づいたのです。言わないようにしていたことは、自分で自分を許していないことだった、と。

そうした気づきを得られ、それを伝えることが本来の告解であるならば、告解をしてもいいかな、って初めて思えました。

自分の深いところでの気づきをうながす、ということは診療の場で人に対してはやっていました。でも、自分自身の内面としっかり向き合っていたかというと、そんなことはなかったんですね。

親に頑丈に生んでもらったので自分の身体に負担をかける生き方をしても体はつぶれなかったけれど、そろそろ限界を感じていました。それも病院や大学を辞めて奈良に帰る決断をした理由の一つですね。

山崎:奈良に帰られていかがですか?私も一年前に東京から軽井沢に移住をしたのでなんとなく似た感覚を持っているのではと想像しています。

中田:何が違うかって、とにかく楽ですよ。東京だと、静かな夜でも大気の中にざわめき、ざわつきがある。そうすると、自分の中の静けさや安定を保つために、無意識に常時それをキャンセリングしている。自分のエネルギーが10あるとすると、何もしなくてもその1-2割はとられている感じかな。奈良に帰るとそれをしなくていいから、楽な体の運用ができる。

東京が緊急事態宣言でお店を20時に閉めていたけれど、奈良だともともとお店は20時には閉まって街は真っ暗ですからね。東京は人がいっぱいいて、テンションを上げないと生活できない。そのよさももちろんあるけれど、そこで住むということは身体への負担という代償も払っているんだな、というのが奈良から見ているとよくわかります。

山崎:すごくよくわかります...

この世界のマトリックスから出る

中田:マトリックスという映画がありましたね。頭の中だけがぐるぐる回っていて、身体から離れている生活は、まさにマトリックスの世界だなあ、と。マスメディアは健康情報を流し、世の中に不安が充満していて、病院に薬を求めて行く。食べ物にしても働き方にしても、体にはよくないものが溢れていて、決して健康にはならない。そして不健康になった身体に更にサプリが良いぞと煽る。

このマトリックスの世界、容易に目覚めないようにもなっている。目覚めようとすると、目覚めさせないような情報の番人がいっぱいいる。情報の番人達は警察官となって正義を振りかざして人の心を縛っていく。

目覚めてこのマトリックスから出る、de-plug(プラグを外す)には、体の経験しかありません。マトリックスに支配されている心に働きかけてもだめで、体に働きかけるしかないのです。「雑巾掛け」もその一つです。

マトリックスから出て、さあこれからどうしようかな、というところです。総合病院も大学も辞めて、夏に自分のクリニックを開設するので、これからは好きにしゃべって動こうと思っていますよ。

中田英之先生:防衛医科大学校卒業後、防衛庁医官として、防衛医大産婦人科、自衛隊中央病院、自衛隊仙台病院のほか、第六後方支援連隊にて部隊勤務を経験。2011年から練馬総合病院勤務、漢方医学センター長を務める。また、上智大では「からだ学」の教鞭をとる。健康はからだの体験を通じて学ぶ必要があるとの考えのもと、四季養生&アーユルヴェディックヨガワークショップを主催。カトリック教徒であるとともに、奈良吉野の金峯山寺東南院にて山伏修行も行い、中先達となる。日本東洋医学会専門医・指導医、日本産科婦人科学会専門医。
山崎繭加:華道家。マッキンゼー、東京大学助手を経て、2006年から10年間、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)日本リサーチ・センターへ勤務。2017年、華道家として独立し「いけばなの叡智を現代の社会に伝える」を理念としたIKERUを立ち上げ。東京大学経済学部、ジョージタウン大学国際関係大学院卒業。




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