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ルーツを探して東海道五十三次

こんばんは。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

今日、先日資料請求しました三重県亀山市の市役所より先祖の除籍謄本と改正原戸籍謄本が届きました。

おさらいをしますと、今回取り寄せたのは、母方の祖父の先祖のものになります。

わたし→母→祖父→曾祖父(祖父の父)→高祖父(祖父の祖父)

戸籍(除籍)謄本を遡っていくと、大阪へ転籍するまえに三重縣鈴鹿郡亀山町大字東町(現在の亀山市)に住んでいたことが分かりました。

亀山市といえば、東海道五十三次の46番目の宿場町「亀山宿」です。
亀山市観光協会のMapによりますと、東町というのは下記のようなメインストリートになるようです。


亀山市観光協会ホームページより

http://kameyama-kanko.com/wp-content/uploads/2020/02/c7f7f2ee4f7243fccc37c3b9c6d83175.jpg

今回取り寄せた亀山市の除籍謄本によると、亀山市の前に、京都にいたということが分かりました。
①京都→②三重→③大阪と転々としているんですが、何を生業としていたのでしょうか。

①京都は下京区花屋町通西洞院東入西松屋町というところで、Googlemapで検索すると東本願寺にほど近い場所のようです。

③大阪へ移動をして最初の戸籍(住所)は大阪市北区北同心町。
同心町と言えば、同心(役人)が住むエリア。

時代劇の世界へいざなってくれる町名が、大阪市北区に残っている。「与力町」に「同心」。江戸期、大坂町奉行所の主力官僚である与力や同心が屋敷を構える武士のまちだった。官職名がそのまま町名として受け継がれた珍しい事例だ。幕末、民衆救済を掲げて乱を起こした与力大塩平八郎の役宅も、ご当地にあった。

Yahoo ThePAGEより引用

除籍謄本によると、曾祖父には妹がいて、妹が10歳の時に亀山市のある家に養子に出されており、高祖母(曾祖父の母)が亡くなった時は娘の養子先で亡くなったようなので、親戚かなにかだったのかもしれません。

また今回、資料を取り寄せたことで、ふたり兄弟だと思っていた祖父に弟と妹がいたことも分かりました。2人とも幼いころに亡くなっているので、母も存在を知らず、母の姉は生前の祖父から「弟がおってな・・。」と話は聞いていたようです。

幼くして亡くなった方々のお墓がどこにあるのか・・。
あまり転々とされていると菩提寺がどこなのか調べるのが難しいですね。

* * *

今度、母方の祖母の先祖の菩提寺を訪ねる目的で、丹波篠山市に母と旅行する予定ですが、亀山市もとても歴史ある場所なので、遊びに行きたいなと思いました。

ルーツを辿りながら、いろんなところへ思いをはせながら旅が出来たら楽しいだろうなぁ~って思っています。


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