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奇跡の連続が起きている日々。

ここ数日、奇跡!!と感じることの連続。小さいことだけど、本当ラッキーとしか言いようがないことばかり。

例えば、

自転車移動の時、末っ子が落としたぬいぐるみを、「落としましたよ。」と届けに来てくれた女子高生。いつ落としたかわからないけど、ものすごいスピードで追ってくれていたようで、風を切って走ってきた彼女。きっと遠くから追ってきてくれていたのだろうけど、にっこり笑って、「よかったです〜。」と帰っていった。爽やか過ぎた優しいJK。この娘のような子供に育てたいと心底思った。

さらにまた末っ子。兄の幼稚園にある遊具から落ちたのだ。しかし、どう受け身を取ったのか、スーパーマンのように滑り落ち無傷だった。その時は、息子が思い通りにいかなかったことがあり、大泣きしているのを宥めていたので、完全に末っ子を放置していた私。神に救われたーとしか思えなかった。ありがたや、ありがたや。コンクリでできていたし、角度が間違ったら救急送りだった。。

他にも予定していた駐車場が目の前で満車になり停められず、近くのスーパーの駐車場に停めることに。時間オーバーになっているけど、駐車券を通すと無料で出れて、出た先にある停めたかった駐車場が空きになっていたこと。スーパーで、買い物をしたのだけど、購入金額より多めに時間を加算してくれていた様子。ラッキーでしかない。

でも、こんな良いことばかりではなく、まだ購入して1年にもなっていない掃除機が急に大破したり、リビングのある2階に登る時、なぜか息子の水筒だけが落ち、階段が水浸しになったりとアンラッキーなこともあります。

「いやーついてないなー」って昔なら思ったけど、今は全くもってその発想が出てこない。掃除機が大破した時はなぜか清々しくて「今までありがとうー」とすぐにゴミに出す。そして、次はどうしようかなとワクワクすらしていたのです。

水浸しになった階段を掃除していると、「最近階段拭けてなかったら、ちょうどよかったわ〜」と思い始め、気がつくと心ゆくまま階段周りの掃除をしていました。

夏以降さらに変化している自分の感覚。手放すことがとっても上手になってきたんだなーと感じています。そして、物理的にも精神的にも手放しが楽にできるとこんなにも軽やかにいられるんだなと体感しています。

軽やかだからこそ、心に余白が生まれている。そうすると、小さいことに目が向くようになる。人のことを考えられるようになる。小さいラッキーに気がつくと、必然的に幸せ〜って感じる回数も増えてくる。

なんという幸せスパイラル。このままこのスパイラルの中にいられるように、断捨離モードに入ろうと思います。子どもたちの成長に合わせて不要な物は、どんどん処分。私自身も使っていないものは処分。使っていない食器とか、リネンも処分。気がついたら家にあるもの、ほぼ不要かもしれんという感覚がきています。笑。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

Mayumi🦩


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