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齋藤綾著「母という呪縛 娘という牢獄」/歪んだ支配欲に溺れた母と、そこから逃れられなかった娘に起きた悲劇

書店で見かけて衝動買いしました。
一気読みでした。


医学部合格を母から強要され9浪の末、滋賀医科大学の看護学科にやっとトップで合格。
就職内定まで取れたというのに看護師は許さない(看護師に対して異常なほどの差別感情があった。)医者が無理なら助産師になれと、どこまでも自分の望みを押し付けて来る母。

以下ネタバレありですので、本をお読みになりたい方はスルーしてくださいね。


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言葉の暴力はそれはそれは酷いもので(バカ、豚呼ばわり。)熱湯をかけられたりナイフで切りつけられたり、偏差値が低くなると最初は掃除機のホースで、そのうち、押し入れにある鉄パイプを娘に持って来させ、それで落ちた偏差値の分殴ったという。

DVを行う人にありがちなのだろうけど、高価な着物を買い与えたりテーマパークで遊んだり束の間の楽しい時間もあったが、それは全て娘が期待通りに努力する事を見返りとして要求しての事だった。

全ての行動は監視下に置かれ
自分に逆らうなら今までかけた学費を返せと要求してきたり。
学校から帰宅する10分前に必ず連絡を強要し帰宅と同時に2人でお風呂に入り(節約目的)勉強はリビングでさせられたり。
毎日何時間にも及ぶ説教。恫喝。
夜中に1時間も母の全身をマッサージさせられる日々。(これは寝かしつけに相当するようであった。)

もちろん、何度も脱走を試みてはいる。しかし必ず見つけ出され連れ戻された。

私が今まで聞いた事のある毒親の最たるものかもしれない。
結局母を寝かしつけた後に殺害。
自分の自由をどこまでも妨害してくる母を殺めた事に対して、同情の念を禁じ得ない。

1審では死体遺棄など認めたものの殺人は認めず15年の判決。
2審では、父親が暖かく寄り添ってくれた事などで心が解け殺人も認め、10年の減刑となり結審。

30年もの間娘を自分の欲望の道具に使い言葉と暴力で支配した母親には、他人の私ですら憎しみの気持ちが湧くほど。
それでも、「私がこんな風に文章を書けるのは母の教育のお陰、ごめんなさい」と亡き母親に謝罪する彼女が痛々しい。

何かしら手を尽くして逃げる事は出来ただろうに、結局母のそばに居続けたのは何故だったのか。
軟禁状態で洗脳されてきたからそれも出来なかったのか。

こういう事件に触れるたび、この場合母親がどうしてそのような人間になったのかがとても気になるのだが、やはり母親とその母親との関係性が深く関わっていたのだと私は思った。

だからといって、娘を自分の欲望を満たす道具にしては絶対にいけない。しかし、家庭の中は密室であり、その空間で心ごと鎖に繋がれた子供にはどうする事もできないのが現実なのだろう。

1人では生きていけない子供に対して教育の名のもとに行う虐待行為は、どうしても認知されにくい。救い出す手立てはないものかと、暗澹たる気持ちになる。

しかし彼女の場合、事件を起こした時は既に31歳。せめて「調べる」事は出来ただろうにと思う。
相談する場所を探す、母親の異常性を読み解く、図書館で調べるなど、何かしら方法はあったのではと。
しかし彼女が調べたのは、どうしたら確実に殺せるか、だった。母親のいない世界にしか、思考が向かっていかなかったのかもしれない。

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母の支配による牢獄からは脱出できたが、いま本物の牢獄にいる彼女。

素直で勤勉で、普通に育てば有能な立派な人材になっただろうに。
悲しすぎる結末だったけれど、刑期を終えた先にはきっと生まれ変わった気持ちで働く彼女の姿が、私には見えるようである。

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こんな母親がいるのねと、傍観者として見てしまいがちですが、
どんな母親にも、子供への期待、自分の思う方向へ誘導したい欲望は根っこにはあると思います。
それを押し通したいという気持ちがあまりに暴走する時は、自分がなぜそんなにも固執してしまうのか自分を見つめる事。そして子供といえども他人の人生なのだという事をしっかり自覚する事が必要なのだと改めて思いました。


本日も最後までお読み頂き
ありがとうございました❤︎


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