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【182/1096】観か?像か?

182日目。今日で子どもの春休みが終わる。山で子どもたちが採ってきたタケノコを、タケノコご飯、若竹煮、タケノコのお吸い物とタケノコ三昧にして頂いた。とてもおいしかった。「タケノコご飯はママのが日本一おいしい」と言うのでありがたい。酒と醤油を入れて炊いただけだけどね。


頭の中のイメージで関わっていると、実体と乖離する。

自分の頭の中にいる、過去のイメージの相手をアップデートしないままにしていないだろうか?
イメージの相手でも、感覚もあるし、気持ちも動く。
イメージしか見てないことに気づいているだろうか。

現実の、いま、この瞬間の相手に実際に向き合う。
感じる、交流する。
なんの前提もいらず、この瞬間に集中する。

虚像相手に、なんの交流もおきない。
自分自身のイメージがいちばんやっかい。

本物さは、現実の実物のなかにある。

https://www.instagram.com/p/Cb6OjftNf3g/

「My Treeペアレンツ・プログラム」という森田ゆりさんの考案した子ども虐待の解決に不可欠な親の回復のためのプログラムがある。

ここに、「子ども観か子ども像か-あるがままに子どもを観る」という章がある。

子どもを一個人として尊重されるべき人格として見るのか、親や家族や国家が期待する人間像へと導く、育成の対象と見るのか。このことは子どもへのあらゆる関わり方の基本として極めて重要な点です。
(中略)
子ども像にとらわれると、子どもがその像に合わないことが許せなくなってしまい、強引に像に当てはめようとします。子どもを変えようとします。これをコントロールと言います。子どもは別の人間なので親が自分の望むように変えることはできないのです。もし自分の期待通りになっていると見えたら、それは外見だけで、内面のどこかに大きなしわ寄せが起きているはずです。親は子どもを変えようとするよりも、自分を変える方がずっと子育てに効果的です。
(中略)
子ども像に対して子ども観は、子どもを大人の期待する像に当てはめるのではなく、その子なりの個性、特性、こだわり、ニーズをしっかり観て、注目して、その多様性を受け入れることです。私たちは皆、違うからこそ尊いのですから。

虐待・親にもケアをP.67~69(太字は私がつけたもの)

これは、子育てだけじゃなくて、すべての人間関係に当てはまると思う。
相手の像を自分の中につくってその像といつまでも関わり続けていると、目の前にいる実体の相手とまったく噛み合わなくなっている。
下手をすると、会話がまったく成り立たない。
相手が相手の中に自分に対するなんらかの像を持っている場合もある。
端的に言うと、そういう相手とは交流が成り立たない。
閉じている、と感じる。
でも、もしかしたら、相手だけが一方的に閉じているということはなくて、閉じている相手に対して自分も閉じてしまうのかもしれない。
思い込み同士で会話しているようなものだから、通じなくて当たり前か。

自分の中にある相手の像、イメージではなく、実際の相手を観て、そして、今この瞬間に感じて関わり合うと、自分をひらいて真ん中から交流が起こる。
それは、仲良くするということとは違う。
仲良くならなくてもいいのである。
ただ、お互いに違いを尊重している。
本来、思い込みや先入観や偏見は、そこには入り込む余地がない。

森田ゆりさんは、Mytreeの本の中で観の説明をするのに、「観自在菩薩」という般若心経の冒頭を引用して、「自在に観る菩薩とは、偏見、先入観などにとらわれず、ただあるがままに観ることのできる菩薩のことです」と説き、自分のあるがままを自在に観る目を養うことの大切さを伝える。
そして、それに必要不可欠なのは、マインドフルネス(瞑想)とソマティック(身体性)だと。

先日亡くなった瞑想の師と呼ばれるティック・ナット・ハンは、こう語ったそうだ。

感情は風のある空の雲のようにやってきたかと思うと去っていく。
意識的な呼吸こそが私のアンカー(錨)だ。

1989年、サンフランシスコでのティック・ナット・ハンの講演より

「人の思考と身体と世界をつなぐものは呼吸である」というのは古からの教えである。

自分が像にとらわれているか、実体を観ているかは、「身体がある」ということを感じられているか?ということなのだ。
身体で感じないようにして、頭で考えたことが感じてる風になると言うことが起きる。
悲しみ、痛み、怒り。
感じたくなくて、頭で避けるために必死に像を作り出す。
作り出した像で動き始めると、いっさいの身体の声は無視できるようになる。
トイレに行くのを我慢する。喉が渇いても我慢する。泣きたくても我慢する。
そのうち、どこかに不調がでる。頭痛がしたら薬を飲んで。おなかが痛くなったら薬を飲んで。肩や腰が痛くなったら、マッサージしてもらって。
自分で作った像を維持するために、実体から乖離していく。

でも、私は、実際に生きているのは実体であるから、いつかどこかで、像は破綻するんじゃないか?と思う。
私は破綻した。
自分ではないものを求めて、イメージで、妄想で、生きてきたけれど、
身体が全力でストップをかけてくれたので。

そして、実体を観るために、呼吸に教えてもらっている。
あるがままの自分を観るとき、自分の心と身体をつないでいる呼吸が深く関係している。
自分の身体との関係性が、他人との人間関係にもそのまま反映されている。
自分が無意識にしていることは、全部、身体が教えてくれる。
無意識に像を使っているなら、そこを観に書き換える必要があるということなんだ。

自分の身体に合う呼吸で生きるか。
自分のイメージに合う呼吸で生きるか。

像で生きるか、観で生きるか。
どちらを選びますか?

では、またね。

(追記)
そうそう、My Treeはクラファンをやっているみたいです。
わたしも支援しました。父親向けプログラムは今までなかなか開催できてなかったらしく、2021年に初めて開催して、かなりの手ごたえを感じていらっしゃるそう。私は、父親プログラムが定期的に開催されるようになればいいのに、と思っています。



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