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一生続く、グラフィックデザインの勉強。

以前書いた↓この記事、

この記事に書かれている方法で勉強を進めていくと、今度はかなりの確率でデザインへの学びに対してウンザリする時期がきます。笑。ということを書いたのが、↓この記事。

では、デザインの「守・破・離」の離のその先はデザインの勉強しなくて良いのか。インプットしなくていいのか。という疑問が出てきます。

質のいいデザインだけを集中的に見るようなことはしなくなるとは思いますが、私は一生学び続けるもので、そのインプットの対象が変わってくるのだと思うのです。

それは例えば、散歩の途中で見つけた木や花などの自然の色味だったり、
毎日食べる食事の食材の色の組み合わせであったりと視覚的なものから、映画や音楽の雰囲気など、視覚とは別のものを「こういう感じがする。」という感覚をストックする感じです。これは共感覚の話と関わってきます。

※↑リンクばかりでしつこいですが、以前共感覚について書いた記事も合わせてどうぞ!

また、逆に日常生活していて触れるデザイン、街にあるロゴ、看板、毎日がデザインの勉強の素材でいっぱいです。ちなみに私はパッケージデザインが好きでデパ地下や地方の駅のお土産屋でパッケージを永遠と見ていられます。
また、美しいデザインや取り入れたいデザインのみではなく、「逆にこれはちょっと!?」という違和感もデザインの勉強になります。私は以前文字詰めについての記事を書きましたが、これはデザイナーあるあるかもしれませんが街中にある文字が気になる。という現象がおきます。

色々書きましたが、このような日常における視点が勉強になっていくのだと思います。そして、その時々で感じることも変わってくるし、時代の流行り、自分の好みも変わってくると思うので、そのインプットや考察は尽きることがないです。

もし将来グラフィックデザイナーという職業がなくなっても、また今後職を変えても、この観察する力や、視覚的なデザインに対するインプットと考察は必ず役に立つと思うのです。AIが発達しても、それを操作したりディレクションする人がデザインをわかっていなかったらどうかと思いますし、DTPのアプリを操作できる技術も大切かもしれませんが、それは上手い人に任せれば良いことで、この感覚を磨いていくことが一番大切だと思っています。

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