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音楽と煙草

先日、芸術史講義(近現代)のレポートを書くにあたってひたすらYMOについて調べていたところ、この動画を観て細野さんの咥え煙草姿の格好良さが頭から離れなくなってしまった。

ポッケに手を突っ込んでるところもキマってる。好き。

細野さんは今も愛煙家だそう。

ファンとして健康面の心配はするけれど愛煙家であることの美学も感じる。


煙草吸うのって難儀ですよね、今の時代。

駅周辺のエリアで隔離された小屋に入って申し訳なさそうに吸ってる。

煙草ってもっと「粋でいなせな嗜好品」だったはず。

煙をくゆらせる時間だけが生み出せる特別な何かがあったはずなのに。

煙草がなきゃ この名曲だって生まれなかったのでは?

 ぼくは煙草をくわえ一服すると きみのことを考えるんです

こんな情緒のある歌詞は もう生まれないかもしれないと思うと 失われた30年くらいの損失を感じる。


「嗜好品」について調べてみると

「嗜好品」という言葉を最初に使ったのは森鴎外なんだそう。

薬は勿論の事、人生に必要な嗜好品に
毒になることのある物は幾らもある。
世間の恐怖はどうかすると
その毒になることのある物を、
根本から無くしてしまはうとして、
必要な物までを遠ざけやうとする。
要求が過大になる。
出来ない相談になる。

森鴎外は「藤棚」(1912年)という短編小説で

嗜好品についてこのように記しているそう。

「出来ない相談になる」ですよ。ぴしゃりと。

なんでもかんでもお茶を濁してたら 粋なもんは死んでしまったねぇ。

煙がゆらゆらする空間をただ見ている

その時に生まれたであろう歌詞に教わったこと。

私はそれらを大いに吸って自分に蓄えた気がする。

”無駄なひととき”が生む情緒を含んだ景色や感情。

そんなものが最近の歌詞から消えている気がして寂しい。

これから先は残っているものを 拾い集めて可愛がるしかないのかもしれない。

折れた煙草の吸いがらで
あなたの嘘がわかるのよ

中条きよし 「うそ」

サヨナラの文字を作るのに
煙草何本並べればいい
せめて最後の一本を
あなた喫うまで 居させてね

吉田拓郎 「外は白い雪の夜」

今日もデートは左京区 大学近くの喫茶店
はよ大人になってくれ 原チャで来はったわ
冷めたブレンド尻目に カフェラテの泡にうずもれて
いつ別れを切り出そか 煙草でうらなってた

くるり 「京都の大学生」

とはいえですよ。

細野さんはじめ、素敵なミュージシャンたちには

いつまでも健康で素晴らしい音楽を届けてほしい。

受け手にできることは届いた音楽を思う存分味わうこと。

できるなら吸い込んだものを吐き出すことで

粋でいなせな空気を循環させること。

それができたら私の人生、上々なのに。

私も15年くらい前までは吸ってました。

たぶんもう吸わないけど 粋な煙草文化なら残るのは悪くないと思っている。

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