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去りゆく選手へ4

いつもエスパルスへ熱い想いを寄せている皆様へ向け、自己満足でつづらせていただいております。

すでにチームは始動し、ロティーナ監督のもと活動をはじめていますが、引退のお知らせが2件と契約を結ばないと発表された選手1名の移籍先が発表となりましたので、もう少しだけ昨シーズンに引き続きお許しを。

山本真希選手引退

山本真希選手が現役引退を発表されました。まず、札幌、川崎、千葉、山雅のサポーターのみなさんに愛されて、応援されたこと、心から誇らしく思います。「派手さはないかもしれないけれど、無茶苦茶上手くていい選手でしょう?育成の頃はもっとアグレッシブでダイナミックだったんですよ」と他クラブの記者さんから聞かれるたびに応えていました。

初めてプレーを見たのは、忘れもしない清水の市営グラウンドで、彼が中学2年生の時。力強くダイナミックにピッチで躍動する姿、あまりにも衝撃的でした。「いやいやいや、反則でしょう。早くユースへあげないと他の選手が気の毒ですよ」と育成のスタッフさんに言ってしまうぐらいでした。目の前に何の障害もなく、彼の未来には世界への道が開けているんじゃないかとその時私は信じて疑いませんでした。ちなみに私が同じように世界へ!と思ったエスパルスアカデミー出身選手は1人しか海外移籍できていません。号泣

エスパルスにおいて、山本真希選手は市川大祐選手の次にユース所属中にトップ昇格を果たした選手でした。2005年に17歳7カ月13日でトップ昇格したことは、クラブ史上最年少契約となっています。とはいえ、2005年ということは長谷川健太監督時代。岡崎慎司選手をはじめとした若手がひしめく世代交代の時期。頭角を現したのは、2009年、背番号を17に変更してからでした。ようやく、本当にようやくこの時代が来た!と思いましたが、2011年シーズンの終わりに完全移籍のお知らせが出た時は正直驚きました。そして寂しくもありました。育成にはお金も時間もかかります。その選手を大きな戦力として羽ばたかせるのにはどうしたらいいんだろう?早熟の選手たちはどうしたらその才能を持て余すことなく羽ばたけるんだろう?と悔しくもあります。森本貴幸選手や前田俊介選手もそうです。彼らは育成時代にとんでもなく光り輝いていた。もっといける、もっとやれるという目で見るからこそ、これは外から見る側のエゴではありますが、本当にもったいないと思った1人は間違いなく山本真希選手です。

夢を叶えるのは簡単なことではありません。でも、その夢を叶えた選手たちが、夢の続きを見続けることはもっともっと簡単なことではないと、思い知らされます。

「異次元の才能、異次元の誇り」これはエスパルスが山本真希選手を紹介する時に使われたキャッチコピーです。彼のサッカーへの姿勢や持てる才能へのリスペクトは今もこれからも変わりません。そしてサンバのリズムが彼の心に刻まれている限り、エスパルスとの縁は切れません。いつか物静かなサッカー少年に伝えて欲しいことがたくさんあるから。

取材は苦手なのかもしれないけれど、落ち着いた優しい語り口で丁寧に答えてくれる選手でした。ありがとうございました。


青山直晃選手現役引退

このメッセージを読むと、本当に脳が心配になります…それぐらいヘディングいっぱいしたと思うので。そして、青山選手へのメッセージより先にひとこと言わせてください。北京五輪時代の反町監督へ。私は今でもなんで連れていってくれなかったのですか?って思っています(笑)

今だから言えるのですが、北京五輪発表直後に締め切りを迎える月刊誌の取材で、青山直晃選手を巻頭特集へもっていくということで、インタビューをさせていただきました。雑誌の締め切りは発表の2日後でした。危なくないですか?と聞きましたが、GOサインでした。メンバーから外れることなど信じて疑っていなかった。ただ青山選手からは「外れるかもしれません」という言葉が出ました。てっきり招集レターが来ていてのことだと思ったので驚きました。選ばれていないのを見て、その日の夕方に山本海人選手にインタビューをして、寝ないで編集をして差し替えたことを覚えています。あの時から快く事情を知って取材に応じてくれた山本選手には感謝、青山選手には謝罪の気持ちを持ち続けています。あの事件以降クラブも私も非常に慎重になりました。

エスパルスを離れてからのサッカー人生の方が長くて、青山選手にとっては遠い記憶かもしれませんが、たぶんずっとヘディングと笑顔は忘れないし、辛い思いをさせてしまった謝罪の気持ちも持ち続けます。ヘディングだけでというけれど、どんな時も全力を出し切るハートがあったからたくさんの人々に愛され、応援されたんだと思います。お疲れ様でした。ありがとうございました。


平墳迅選手 鈴鹿ポイントゲッターズ(元鈴鹿アンリミテッドFC)へ移籍

https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/46510

エスパルスにプロとして在籍した3年(藤枝MYFCへの期限付き移籍も含む)どんな思いで過ごしてきただろう?って思うと切ないです。この3年でカップ戦2試合にしか出場していません。もっと少ない選手もいると言われるとその通りなのですが、他の若手選手がチャンスをもらうなかで、彼の中ではキツかったと思いますし、エスパルスには珍しい?ゴリゴリタイプなので、他の選手からも一目おかれていましたが、掴み切れなかったと言えると思います。ユース時代から応援されていたサポーターのみなさんにとっても、もどかしく、もやもやした気持ちでいたのではないかなと思います。苦しい時にこそ、使って見てもらえたらゴリゴリやってくれるんだけれどな…と思いながら。

ゴリゴリの選手やドリブラーだったりは、ちょっと不遇の時代ではないか?と言われていたりします。でもだからこそ貴重でその存在感は際立ちます。ただし、細かい戦術を理解して、徹底した上で自分のカラーを出せるようにならないと、現代サッカーの監督にとって使いづらい選手という判断になってしまうのかなと思います。

資質も努力もあっても、プロサッカー選手としての幸運をつかむには、わずかな運も必要で、その運を引き寄せるために、進んで徳を積む選手もいます。それぐらいプロサッカーで上へのし上がるには、雲をつかむようなものなのかなと思います。

時代が悪く、どのクラブもコロナ禍で財政的な問題もあり、新規獲得選手が少なくなっています。本来J2、J3クラブにも彼を欲しいと思ったクラブはあったと思います。鈴鹿はJFLですが、悲観はしていません。下のカテゴリーからのし上がってくる選手は、近年珍しくもなんともありません。特にFWは結果がすべてです。

今21歳。一般社会的には3浪してここから大学生活をはじめ、4年エンジョイする人だっています。彼ならここから自らの足でのし上がってくると思います。反骨心は大きなエネルギーになる。鈴鹿の選手たちがどれほど純粋な気持ちでサッカーと向き合っているか、Jクラブを見ているか、きっとそれは大きな刺激になるはず。だいぶ悔しい状況ですが、鈴鹿には大きな、大きな戦力補強だと思います。とにかくゴール量産。周りとどう響き合うかに工夫が必要だと思うけれど、平墳選手ならそれができると思います。どこを目指すか、何を実現するのか、決して見失うことなくピッチで暴れて欲しいです。

コロナが一日も早く収束し、サッカー界も元気になることを願います。長文お読みいただきありがとうございました。

追伸

ロティーナ監督が合流し、選手たちの気合は合流前から伝わってきましたが、監督の存在により、練習場の空気が一層ピンと張り詰めていていい雰囲気でした。練習取材には制限がありますし、今年はキャンプへ行けませんが、開幕までできる限り見て感じようと思います。権田選手が積極的に声かけしていて、早くも若手選手から「ゴンちゃん」と呼ばれています。隣のチームのゴンコーチも注目ですが、こちらのゴンさんにも注目が集まりそうです(笑)

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