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安本さんありがとうございました。

これから綴るのは、少し寂しいお話。なのでゴールデンウィーク初日にそういうお話に触れたくないなと思う方は今回はここでそっと閉じてください。

株式会社エスパルスの初代社長安本文彦様が4月25日にご逝去されました。

エスパルスは経営難となり1998年2月に運営会社を新たに立ち上げ株式会社エスパルススタートしています。その初代社長が安本さんでした。私が毎日新聞を辞めてフリーになった時の社長でもありました。

右も左もわからず、当時大場さんが突然エスパルスオフィシャルの仕事を辞められて、たった1人で全部のメディアを書かなければいけなくなって、あまりの仕事の多さと原稿が遅かったので、眠れないほど大変だった時期。泣きそうになりながら原稿を書いていたら「あんた目にクマがあるよ。ちゃんと寝ないとダメだよ」と心配してくれたのを覚えています。

当時ぺリマン監督がいろいろな要望をすることに、真剣に向き合い、できること、できないことをしっかりと伝え、粘り強く、とっても丁寧に対応していました。私がたまたま現場に居合わせて、あまりのピリピリ具合に困惑しているとくるりと振り返り「わがままでこまっちゃうね」とペロッと舌を出して笑わせてくれました。笑った私を見てぺリマン監督が「社長は何を言ったんだ?また悪口言ったんだろ?」って笑っていました。最初は運営会社が変わり、心を閉ざしていた現場が。徐々にプロとしてとてもいい関係性を保つようになったのも、現場の努力と安本さんのお人柄があったからだと思います。安本さんだったから、エスパルスはこうして今も存在できていると思います。

まだフリーランスに契約書がなかった時代。私がシーズンが終わる度に今シーズンで終わりかもしれないと心配していることを知った社長は「来年もよろしくね」と必ず声をかけてくれました。そして、私も経験も自信もない中で「今月号良かったよ」と声をかけてもらえることがどれだけありがたかったかしれません。初代社長が安本さんでなかったら、私は人生の半分以上をエスパルスと共に歩むことにはならなかったと思います。

歴代社長に大変良くしていただきましたが、実は現場を離れても、つい最近まで頻繁に交流があったのは安本さんだけでした。さすがに昨シーズンは導線が違ってしまったので、お会いできませんでしたが、2019年シーズンまでは、試合後に記者席から記者会見を向かうとき、バックスタンドで試合を観て帰ろうとする安本さんとお会いしていました。負けてがっかりしていると「勝ってくれないと困るよね」と言って大きな手で必ず握手してくれました。

勝ったらみんなで手をつないで踊る勝利のチャント「勝ちロコ」には、私はスタンドからも、ピッチでも参加したことがありませんが、勝って安本さんと満面の笑みで握手するのが私の勝ちロコでした。

「寒いから風邪ひかないようにしてくださいね」「お酒飲み過ぎちゃダメですよ」なんて、孫みたいな気分で背中に向けて見送りながら声をかけると手を振ってくれるのがいつもの光景でした。

近年エスパルスのことが好きになった方や、今在籍している選手には途方もなく昔の話。なんなら生まれる前の選手もいます。苦笑

でも、こうしてリスタートを余儀なくされた当時のエスパルスを強く、明るく支えてくださった安本さんががいたということだけでも覚えていていただけたらありがたく思います。

こんなタイミングですし、ご親族の負担にならないよう、最後のお別れは叶いませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。


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