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あれから10年

 眞田雅則さんの訃報を受けて、うそでしょ?うそでしょ?何度も何度もそうつぶやきました。でも、誰も嘘だとは言ってくれなくて、泣き崩れました。クラブから体調不良による休養がリリースされてすぐのことでした。2011年9月6日のことでした。東日本大震災で大切な人々を亡くされた方々がたくさんいる年でした。

 あれから10年。どこかで亡くなっていないと信じることで、私は眞田さんがお亡くなりになったことを100%受け止めずに生きてきたのだと思います。1年に1度命日に眞田さんへの想いをつぶやくのが精一杯。誰とも眞田さんの思い出話はできずに生きてきました。

 10年経ったからと、月刊誌エスパルスニュースという電子書籍(どなたでもご購入可能です)で追悼特集を組むからということで、ゆかりのある方々へインタビューするようオファーがありました。正直泣かないでインタビューを終えられる自信などなかったので、断ろうかと思いましたが、眞田さんを現役時代も引退後も最も取材したのが私だと眞田さんから言われたことがあり、チームを離れた時でさえも交流していたことから、やらせてもらおうと決心しました。

 掲載号はこちらのリンクからご購入いただけます。

眞田さんがもっともゴールを奪われると悔しかった選手中山雅史さん(ジュビロ磐田コーチ)、公私ともに仲良しだった澤登正朗さん(常葉大学総監督兼解説等)、現役時代チームメイトとして長く眞田さんの全盛期を過ごした羽田敬介さん(エスパルスアカデミーコーチ)の3人にインタビューさせていただきました。インタビューと言っても、私は話のきっかけを振っただけ。御三方の思い出を思うようにお話していただくことにしました。

何日も前から、インタビューを受けてくださる3人の方が眞田さんより近しい関係なのだから絶対に自分は泣くな!絶対に泣くな!と自分に言い聞かせてインタビューをさせていただきました。

中山さんは、ライバルとして、そして求められている中山さんのイメージをそのままに素敵にお話してくださいました。唯一じんわり来たのは、最後の最後に眞田さんに言いたいことはありますか?と聞いた時ぐらいでした。おそらく他のお二人はより深い思い出話をするだろうことを理解した上で、ご自身が求められることを貫いてお話する姿、ありがたく、そしてかっこよかったです。

澤登さんは、うんうん、そうそう!と、頷けるお話ばかり。あまりにも突然で寂しすぎる別れのせいで、眞田さんの思い出話をしてこなかったので、澤登さんが穏やかに笑顔でお話しているのを聞きながら、澤登さんだって今も眞田さんと一緒に生きている。それでいいんだと思いました。眞田さんが「ノボリのことは選手として尊敬しているけれど、弟みたいでかわいいんだよね」って言っていたことをご本人に初めて御伝えしましたが、とても嬉しそうだったのが印象に残っています。

そして、羽田敬介さんのインタビューはもっとも衝撃的でした。何がってエピソードのすべてが今までおそらく多くの人々が聞いたこともないだろうお二人の知られざるエピソードだったからです。本1冊かけるレベルです。眞田さんがいかにすごい人だったのか、永遠の文字数を与えて欲しかったです。エピソードがまだまだあるとおっしゃっていたので、もっとたくさんのお話をお伺いしたいと素直に思いました。

 眞田さんは常に優勝しか見ていませんでした。どれほど成績が悪かろうと、本気で優勝とおっしゃっていました。勝つことだけを求められてきたことから逃げないフットボーラーでした。そしてとてつもない人格者。それでいてピッチ外ではユーモアたっぷりでチャーミング。なおかつ家族思いの愛妻家。本当に眞田さんは「非の打ちどころがない」人です。

 学生時代からライターだった私に、キーパーとは、キーパー目線でのサッカーの見方を丁寧に教えてくれ、キーパーがキーパーコーチになるんじゃない、監督になるんだと引退してからも一貫しておっしゃっていました。2年の社会人経験を経てフリーランスになってエスパルスのオフィシャルのお仕事をするようになった時、優しく「そうなんだ!よろしくね」と声かけしてくれたのも眞田さんでした。眞田さんが丁寧に接してくださるから、まだ20代前半だった私にも多くの選手が優しく取材に応じてくださいました。

 今のエスパルスが眞田さんなくしてはありえないのと同時に、白瀬というライターもまた眞田さんなくしては今もこうして20年を経過してもライターをしていることはなかったと思います。眞田さんがいつも「ありがとう」と言ってくれ、他の選手の記事の時も「よかったよ」と言ってくれたから、頑張ってこられました。きっと眞田さんがいなかったら百戦錬磨のプロを相手に、20代前半のサッカー競技経験が学校の授業でしかなかった私は耐えきれずとっくに辞めていたと思います。

 この10年、何度眞田さんが生きていてくれたなと思ったか知れません。そして、今のエスパルスを見て眞田さんはなんていうんだろう?って何度も思いました。なんとか少しでも選手やチームの役に立とうってそれだけでした。澤登さんも、羽田さんも、同じように思っていたことを知り、それぞれが悲しい思いを受け止めつつも、振り返らず、歩みを止めず、前だけを向いて頑張って来たんだと知りました。

 インタビュー中はなんとか泣かずに頑張れましたが、1人でインタビューを起こしていると、zoom会議ながら、ハイレゾで録音したインタビューは、お話してくださる方々がわずかに声が震える瞬間や話の間のため息まで聞こえ、号泣しながら編集しました。

 3人のインタビュー編集だけでなく私にも執筆機会をいただきましたが、3人のエピソードだけで充分と判断し、その前に掲載される私の原稿に関しては、私情を挟まず、できるだけ眞田さんを知らない方にもその凄さがわかるよう、眞田さんと言われて思い出すであろうところを主に書くことにしました。

 今回の特集を編集しながら、誰かを亡くした傷みは時間により癒えるものではないということがわかりました。と同時にこうして眞田さんが大好きだった人々と、眞田さんの思い出話をすることは、とても大事なことなのだなとも思いました。

 10年前眞田さんのお子さんがご葬儀で気丈すぎるほど気丈に振舞っていたことが忘れられず、3人と奥様の幸せを心の中で祈っていましたが、それぞれの道を歩んでいると聞いて、とても嬉しく思いました。

 小さい頃からみんなのためにゴールマウスに立ち、ゴールを守るキーパーに憧れ、負けることを自分に許さず、勝つことだけを目指して戦い続けた勇気の守護神は、今も、そしてこれからも、人々の心のど真ん中で、永遠に生き続けます。

 七転八倒の私の人生はいつか天国で眞田さんに再会したら「負けっぱなしだったな」って大爆笑されそうですが、それでも倒れるなら前のめりの精神でこれからも生きていこうと思います。

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