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西部洋平選手引退

このノートは静岡で生まれ育ち、エスパルスを主に取材しているライター目線での投稿となります。引退や移籍する選手へ勝手にメッセージを書いております。皆様それぞれに想い出があると思いますので大切にされてください。

エスパルスニュースで取材をさせていただいたり、他のライターさんが引退選手を取材して掲載している都合上、出版や掲載を待っての執筆となりました。

現役生活お疲れ様でした。

高校受験の時にキーパーグローブを初めて購入し、そこからサッカー漬けの毎日だったとはいえ、運動神経がいいというだけで、ほぼ高校の3年間でプロサッカー選手までのぼりつめた選手を私は西部選手ぐらいしか知りません。

特にゴールキーパーはフィールドプレーヤーだったけれど、小さい頃大柄だったとか、やる人がいなかったという理由で体験して始めた選手や、最初から眞田さんのようにキーパーに恋してなった人がほとんどですので、余計にその運動神経と3年間の努力に驚かされました。キーパーコーチがいる学校へ進学できたことも幸運だったと思いますが、帝京三高は当時部員数もかなり多く、1学年にキーパーだけでも5人以上いるような大所帯。その中からサバイバルに勝ち抜くことがどれだけ大変かということを想像するだけで怖いです。

ブレイクする選手も、消えてく選手も大勢見て来ましたが、西部選手は年々目に見えてどんどん進化が見えることが驚きでした。キーパーは角度とか足の向きとか、本当に微細な変化が多いので、ご本人や周りの関係している選手へインタビューして教えていただかないと、わからない変化も多いんです。

しかし、西部選手の場合は、スタンドから見ていると、どんどん進化を遂げていきます。彼はプロとして信頼を得ながらどんどん自分を成長させていくことができる人でした。川崎へ移籍した時、どんどん足元の技術が進化するので、ビビるほどでした。

エスパルスへ最初に加入した時は、周りの選手からリフティングができないことをいじられているほどでしたが、サッカーが変化し、キーパーとして求められていることが変わると、必要に応じて自らをどんどんアップデートさせていくことができるのは本当に素晴らしいと思います。

いいことも、悪いことも、辛いことも、嫌なことも、全部受け止めて前へ進むことができる西部選手の器の大きさだった気がします。

彼のことを慕う選手が多いことも印象的でした。多趣味で様々なことをストイックではなく楽しみながら突き詰められるのは才能です。静岡へ来て、釣りを楽しもうとする選手はわりといますし、元々西部選手がバス釣りをすることは聞いていましたが、ある日砂浜からヒラメにチャレンジしていたことをインタビューで聞いた時、ドン引きしました(笑)私は若かりし頃元々新聞社で釣りコラムの入稿サポートをしていたので、どれだけヒラメの難易度が高いかを知っていたからです(笑)素人の領域を超えています。

きっとサッカーでもそうだったと思います。難しい局面、辛い時も、とても素直に受け止めて、様々な人からのアドバイスを聞き、微細なところまで納得するまで詰めていく。

若さゆえ、一時的に感情的な態度を取ったとしても、嫌な空気を纏い続けず、前を向き、様々なことを経験として蓄積して成長の糧にしてきたのだろうと思います。

ピッチの外では穏やかで優しいオーラを身にまとっているので、私はいつも年上の人とお話している感覚でした。

辛い思いをしたはずなのに、川崎からJ2へ降格してくれた時、本当に驚きましたし、どれだけ心強かったかしれません。怪我をした時はさすがに辛そうでしたが、彼はそれでもピッチ外で常に言葉を発し続けてチームを支えてくれました。終盤へ向かう一体感がなかったら最後の猛追も、J1復帰もなかったと今も思います。

高校1年生からキーパーとなり、走り続けたプロ生活の日々だったと思いますが、有り余るエネルギーの多くを注いだ毎日、出会った人々、そして経験は、これからの人生に大きな宝物になると思います。サッカー界にも関わり続けると思います。今後のご活躍をお祈りします。

ありがとうございました。

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