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脳死した思考

今世間にブームを起こしているTikTokにYouTube、他動画サービスの数々。
電車内や道ゆく人が視線を上げて移り変わる景色を楽しみながら歩を進めているところを見かけることはほぼ無いに等しいほど、私たち現代人にとってSNSや動画コンテンツというものは親密なものになっている。

かく言う私もYouTubeは昔から好きで、ゲーム実況やアーティストのMV、YouTuberチャンネルを楽しんできている。様々な人が色んな角度から自分をアピール出来る時代になった。

それは良しとして。素晴らしいとして。
私は不安を覚えるのだ。
このまま私たち人間は脳みそが死んでいくのではないかと。

映画を観ても、舞台を観ても、音楽を聴いても、「楽しかった♪」で終わってしまう人が増えてはいないだろうか。
幼な子のような感想止まりで、その先の想いが出てこなくなっている。

それは何故か。

『見れば分かる』動画が増えたからだ、と私は思う。YouTubeやTikTokの動画は面白さや話題性に振った企画モノが多いので、考察する余地がないくらいに分かりやすすぎる。
(そういう動画を否定しているわけではなく、あくまで一例として)
文字のテロップは出るし、単純明快な企画の動画は見ていれば楽しい。まさに無心で見れる。何かの作業用に流している人も多いのではないだろうか。
かと言って、単純明快な動画も必要な時はある。
私も、疲れた1日の終わりに頭を空っぽにして笑わせてもらうために見ることはある。それだけ今の世の中がストレス社会であるという啓示なのかもしれない。
それでも私は、ヒトは考えることをやめたら終わりだと思っている。受け身だけでは意味がなくなる。時間が溶け出してしまう。複雑な思考を出来るのは今のところ人間だけらしいから。

芸術作品を観て感想を言い合う時間が私はとても好きだ。大まかに同じ感想だとしても、その人が紡ぎ出す言葉での表現は違うし、相手と同じ意見である必要もない。むしろ違う視点で見ている人の意見を聞けるのは気付きが増えてありがたい。最高に楽しい時間だ。
私は近頃舞台を観させて頂くことが多いのだが、面白い面白くないは関係なしに一度は必ず考察するようにしている。

「あの人が出ているから・作ったから好き!面白い!」は死ぬほどつまらないし、脳みそが死んでいる。
『どうして?』をもっと詰めていきたい。
舞台や映画であれば、どうしてあの人があの時その言葉を発したのか。話のシナリオはどうだったか。この人はどんな気持ちの変化があったのか。表情や仕草の意味は。どうしてこの人はこの作品を作ろうと思ったのか。この作品に隠された意図は。それが伝わったのか、伝わらなかったのか。それを感じて自分がどう思ったのか。
言い出せばキリがないけれど。

感想に大事なのは何故の部分だ。

小学校の作文の時に耳にタコが出来るほど言われるこのセリフが、今こんなにも必要になるとは…。
楽しかった!面白かった!つまらなかった!悲しかった!→何故そう思ったかがその人の個性になるのだから。それを知りたい。
『何故』を考えると自ずと文章化出来るので、文章を書くことが苦手な人は心掛けてみると良いかもしれない。

もっと考えて、感じて、生きねば。
自戒も込めて。
役者をやり始めてより一層この事について考えるようになった。読んでくれたあなたも、より物事について深く追求する精神を持ってくれたらと思う。
たくさん語り合おう。

繭乃

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