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#5 社〔ヤシロ〕

 あれから自宅最寄りの渋谷駅に着いたのは、間もなく午前1時を回る頃だった。
 大方の人が嫌うであろう月曜日を迎えいれたというのに、渋谷の街はまだ休日気分の人間が騒ぎ蠢いている。
 僕はそんな能天気な人間共に吐き気を催しながら帰路に就いた。
 だらだらと歩きながら、馬鹿みたいに騒ぐ彼らにだって悩みがない訳ではないんだよなと、当たり前のことを思った。
 騒ぎ立てるのはそんな悩みを忘れてしまいたいからだということは知っている。僕にだってそんな時期はあった。だが、その行為は無駄だといつしか悟った。
 騒いだところで忘れたかった何かが自分の中から消えた試しなんて一度も無い。飲んだくれようが、都合の良い女を引っ掛けてヤろうが、物に当たろうが自分に当たろうが、消えてはくれない。
 寧ろその事象は色濃くなって自分の中に舞い戻っては脳裏に焼き付くのだ。
 社〔ヤシロ〕が死んだことも無かった事にはならない。
 全ての起きてしまった出来事は無かった事になんて出来ない。「無かった事にしたい」だなんて人間の怠慢だ。だったら最初から、その忘れたい何かをどうにかして消化する努力をした方が賢明だし、そもそもムキになって忘れようとするから苦しくなるということに良い加減人間は気付くべきだと思う。 

 僕は未だ業務を終える度に、本当はあの子達は死ななくていい道があったのではないかとふと考えてしまう。それは僕のエゴであり、ありがた迷惑になる。
 考えたところで意味を成さないのだが、考えるなと言われてもそうしないと気が済まないのだ。
 それこそ、初めての業務を終えた時は本気で無かった事にしようとした。翌日から何食わぬ顔で過ごそうと強がってみたが、当然、無理であった。
 人が死に行く姿を見て何とも思わない程、僕は強くはない。敢えてプラスに言うなれば、彼らの死は虚しくも美しく、儚いものだった。
 死の瞬間に立ち会わない選択肢もあるではないかと言われたらそうなのだが、それがどんなに悲惨な現場であろうと、彼らの死した姿を見る事こそ、この業務をすると決めた僕にとっての消化する努力であり、無理矢理忘れようとしないための行為だと今では思う。 

 鍵を開け、どことなく重たいドアを開けて部屋へと入った。そのまま沈むようにベッドに倒れこむ。
 社〔ヤシロ〕の最期の笑顔がふわりと目を閉じた先によぎった。 

 君は何故死を選んでしまったのだろうか…… 

─────────────────────

 とてつもない携帯の着信音で目が覚めた。
 時刻はもう13時を回っている。
 どうやら一度も目覚めず爆睡していたらしい。
 寝過ぎから来る気怠さと頭痛で眉間に皺を寄せながら、うだうだと携帯を手にした。
「はい…」
『榊さんですか?』
「はい…そうですけど…」
『能崎です。……鵜木坂です』
「能崎で分かるよ。珍しいね、君が電話なんて。どうかした?」
 寝惚けていたのはあるが、一瞬声が大人っぽくて分からなかった…とは言えない。
『今日もそちらにお邪魔しに行っても良いでしょうか』
「え…?ああ…構わないけど…」
『ありがとうございます。そうしたら、着く前にまたご連絡します』
 槍でも降るような事態だ。彼女自ら外に出て、しかも男の家に来るだなんて。
 僕は寝惚け眼をこすって目覚ましにシャワーを浴びることにした。 

 シャワーを浴び終えて間も無く、インターホンが鳴った。
「はい」
「能崎です」
「今開ける」
 ドアを開けると彼女は一歩後退し顔を顰(しか)めた。
「普通、女性がこれから来るのを分かっていながらその格好で出て来ます…?」
「あ、ごめん、つい」
 いつもの癖でハーフパンツに上裸でドアを開けてしまったらしい。
「全く、着く頃連絡すると言ったのに、その調子だと連絡も見てないんでしょう」
「悪かったよ。着替えて来るから少し待ってて」
 履いたハーフパンツはいつもならそこら辺に放り投げている所だが、綺麗に畳んで仕舞い、ジーンズと小綺麗目なTシャツを着て彼女を家の中へと入れた。
 彼女は以前座った場所に座り「突然お邪魔してすみません」と一言呟いた。僕は相変わらずデスク前の椅子に座った。
「今日大学は?」
「もう行きません。親ももう何も言って来ませんし。この先死ぬ人間にこれ以上の勉学は必要ありませんから」
「そうか。で、突然来るには理由があるんだろう?」
「ええ。社〔ヤシロ〕のことを聞きに来ました」
 彼女にとって社〔ヤシロ〕の存在はそれ程大きなものだったのかと、僕は驚いた。もっと淡白な付き合いだと思っていたし、淡白な奴だと思っていた。
「彼女はどんな死に方を選んだんですか?」
「飛び込み自殺だ。それも両親の前で」
 それを聞いた彼女はふふふと笑った。それは何とも柔らかい心からの笑顔だった。
「さすが彼女らしい!やっとご両親に仇討ち出来た訳ですね。良かった」
「そのことなんだが、上手くいったようには見えなかった。目に焼き付けてやりたいと言っていたのに…僕の目の前にいた両親は、社〔ヤシロ〕が直接話しかけたにも関わらず、そこで誰が飛び込んで行ったかなんて分かっていなかったし、悲しんでさえいなかった」
「彼女の目的はその場で悲しんでもらうことなんかではありませんよ」
 食い付き気味に彼女が言った。さっきまでの優しい笑みなど嘘であったかのように、どす黒い声で言い放った。僕を見つめる目は恨みさえ感じる。
「彼女の最期を見ておきながら何も分かっていないんですね。今まで死んで来た子たちも、そんなんじゃあ浮かばれないでしょうに」
「なっ…何だよそれ…!」
 自分で言ってダサいと思ったのは言うまでもない。
「本当に自分が死んだ事に気付いて欲しくて悲しんで欲しかったなら、自宅で死ねば良いじゃないですか。どの道、あの両親ですから、彼女が自宅で死んでいたところでゴミ袋にでも詰めて捨てそうですけどね」
「じゃあ何で両親の前なんかで死んだんだよ」
「復讐ですよ。知りませんか?電車での投身自殺はその死んだ家族宛に多額の損害賠償金が課せられます。それもその線の利用者数が多ければ多い程に」
「ああ、それは知っているよ。有名な話だ」
「彼女の家は多額の借金があったそうです。それがもう時期返済し終えることを彼女は知っていました」
「つまり…投身自殺した損害賠償金を更に借金として上乗せさせたのか」
「そういう事です。そうでもなければ大嫌いな両親の前でわざわざ死なないでしょうし。でも…目に焼き付けてやりたいという彼女の気持ちは、強ち間違いではないのかもしれないですね…」
 社〔ヤシロ〕の話をする時の彼女は本当に感情豊かで、一番心を開いていることが分かる。俯いている彼女の肩に社〔ヤシロ〕が死んだことの重圧がずっしりと伸し掛かっているようだった。 

「本当は君…あの子に死んでほしくなかったんじゃないのか…?」
「さあ…どうなんでしょう。私が死ぬなと懇願したところで無駄だったと思いますよ。彼女は現世に飽き飽きしていました。私と会うことも、どう思っていたのか」
「社〔ヤシロ〕は最後に僕と会話した時『待ってる』と君に伝えてくれと言っていたよ」
「それが本心なら私も死ぬのは怖くないですね」 

 にこりと笑いかけてきた彼女が痛々しくて、僕は思わず目を逸らした。

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