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#4 業務

 彼女はその後、そろそろ外出の限界が来るため帰宅すると言ってそそくさと帰っていった。何もなかったかのような態度で「またそのうち」と言い残して。
 ただ一人取り残された僕は、嵐が来て去って行ったかの如く、今置かれた状況にまるで追いついていなかった。僕の脳は今起きた出来事の履歴を順に追っていくことで精一杯で、時折思考が空を漂うばかりであった。
 ぼーっと一点を見つめたまま、どのくらい時間が経過しただろう。遮光カーテンの隙間から遠慮がちに差し込んでいた光も消え、外は間もなく夜へと変化している。暖かかった室内に孤独に冷えた外気が流れ込んでいた。
 宙ぶらりんな気持ちのまま、いつのまにか眠っていたパソコンをなんとなく起動させた。
 ぼんやりと僕のサイトが表示される。
 淡い青が画面を埋め尽くした。
 突然の強い人工的な明るさに目がやられて少し頭が痛くなった。
 そういえば、今日も夜1人巣立つ子が居るんだったとサイト内のダイレクトメールを見て思い出した。
 3年前に彼女の作ったルームから僕のサイトへ移行し、今まで長く利用していた、社〔ヤシロ〕が巣立つのだ。
 これで3年前から彼女と関わっていた人間は最後になる。他の者は既にこの世に存在しない。 

 社〔ヤシロ〕と詳細の確認をやり取りしていると、別のダイレクトメールが入った。 

『鵜木坂です。先程は急に帰ってすみませんでした。薬を持って来るのを忘れてしまって、そろそろ切れる頃合いでしたので、迷惑をかける前に帰らせて頂きました。決して貴方を嫌った訳ではないので、お気になさらず』 

 あんなに何食わぬ顔で帰っていった癖に、きちんと謝罪の言葉を送ってきたところを見るに、彼女の育ちの良さを感じた。衝撃こそ大きかったが、彼女の行動に気を悪くした覚えはなかったので、その旨を伝えた。
 そのついでと言ってはなんだが、社〔ヤシロ〕が今晩巣立つことを彼女に伝えると「救いの時が来ましたか」と一言送ってきた。これはいつもと変わらなかった。
 今までも、3年前からのルームメイトであった者の巣立ちの報告は逐一していたのだが、その度に「やっと魂が救われるのだ」と宗教めいた事を言っていた。
 僕にはその思考が未だに分からない。
 自ら命を捨てる事が救いだなんて、そんな悲しいことはあるだろうか。
 きっと、その者が死んで悲しみに暮れる人間は少なからず居るはずで、生きていればたとえ苦しくても素晴らしい何かが、小さな幸せがあるはずなのに……いや、そうであってほしいと僕は思っている。
 そんなことは唯の綺麗事だ!という気持ちも、もちろん理解出来ない訳ではない。僕だって何度も壁にぶち当たったことはある。
 しかし、僕は本当に死を意識する程、辛い事をしたこともされたこともない為、彼女らの"死は救い"という概念は理解しかねる。
 感情というものは、自分でない誰かが味わったことを理解しようと歩み寄る努力をすることは出来ても、”完全なる”理解と共感は不可能だ。人間は悲しいことに自分でそれらを体感しなければそれがどんなに嬉しいのか、悲しいのかは理解できない。
 それ故に、僕は彼女らの思考に惹かれているのだ。
 彼女らの計り知れない感情に想いを馳せていると、また鵜木坂…こと能崎からダイレクトメールが届いた。 

『社〔ヤシロ〕に、お疲れ様、もう時期私もそちらに向かうので皆んなに宜しくと伝えておいてください、とお伝えください』 

 珍しい事だった。
 今まで言伝を頼まれたことは一度も無かったが、最後のルームメイトだからだろうか、こんな事を言うなんて。
 僕はサイト内の"鵜木坂 百合"とリアルで会う"能崎 紫"を比べてみた。
 "鵜木坂 百合"はとても繊細で知性溢れる印象を受ける。文体から時折強気な面を見せるも、全体的に女性的な柔らかさを感じさせるためか、弱々しさや儚さが顕著に出ているように思う。
 "能崎 紫"は見た目こそか弱いが、口を開けば強気でサバサバしている。それこそ悩んだり困ったりしなさそうで、自分から道を作っていけそうなくらいだ。自殺とは無縁な感じである。
 どちらも彼女であり、偽りはない。そのまま彼女を表現すれば、虎の皮を被った猫、と言った感じか。
 彼女が猫の部分を僕に見せる時は、きっと、彼女の終わりが近い証な気がした。 

 夜20時。死ぬ前の社〔ヤシロ〕と待ち合わせ、レストランで少し打ち合わせをした。
 社〔ヤシロ〕はJR新宿駅での飛び込み自殺をする予定だ。
 僕は、何故大勢に迷惑のかかる駅で飛び込むのか聞いてみた。
 社〔ヤシロ〕曰く、自分の死ぬ姿を両親に見せつけるためらしかった。
 新宿駅は両親が仕事の帰りで使う電車で、2人は同じ職場から一緒に帰ってくるため、何時の電車を利用するのか追跡して調べるには簡単だった。
 両親は社〔ヤシロ〕を自分の子供ではなくモノとして扱うような人間で、体に痣や傷は絶えず有り、ネグレクトも毎日。たまに出されるご飯もパン1つあれば良い方だったという。
「泣き方なんてとっくに忘れたな」
そう言った社〔ヤシロ〕の喪失感溢れる顔は忘れられない。
 18歳である今もその両親と同じ家で暮らしていたが、相変わらずネグレクトは続いているため、アルバイトしたお金で食費や生活費をやりくりして過ごしていた。
 生きる意味を見失いつつもこれまで生きてきたが、もう気力も希望も無くなったのだと言っていた。
「最期くらいは、大嫌いな両親に自分の姿を目に焼き付けさせて死んでやりたいじゃない?まあ、そんな事をしても何とも思わないような両親だとは思うけどね。ただの自己満足。」
 そうして僕らは駅へと向かった。 

 23時42分。JR新宿駅。
 渋谷方面へ向かうはずであった電車に、両親の目の前で社〔ヤシロ〕は身を投じた。
 飛び込んでいく姿を見た利用客達の叫び声とクラクションの音が響き渡り、電車は凄まじいブレーキ音と共に急停車した。駅のホームはたちまち騒然として、電車は一時運行休止となった。
 社〔ヤシロ〕の遺体は見えなかったが、駅員がブルーシートを持って来たということは相当砕け散ったに違いなかった。
 それを見ていた両親はというと、飛び込んだ人間が自分の子供とも気付いていなさそうだった。
 突然「お父さん、お母さん、やっと私あなたたちから解放されるよ。さようなら」と話しかけられ、目の前で飛び込んだというのに、今のは何だったの?とでも言いたげだった。
 死んでも死に切れないだろうなと僕は思った。どうかあっちの世界では幸せに過ごして欲しい。 

 彼女の最期は柔らかな笑顔だった。
 その時まで僕は近くで他人のふりをして見守っていたが、両親に事を伝え、飛び込む直前に僕へ笑顔を向けてくれた。
 大体の者は僕に笑顔を見せてから命を捨ててゆく事が多い。
 社〔ヤシロ〕が最後に僕と話したことと言えば、「鵜木坂に待ってるよって言っておいて」と一言だった。
 そして、社〔ヤシロ〕を見て何故彼女が言伝を頼んだのかが分かった。
 僕が彼女に初めて声をかけたあの日の夜、隣に居た女性だった。きっとリアルでも友人関係だったのだろう。
 社〔ヤシロ〕に彼女からの言伝を話すとケラケラと笑った。
 とてもこれから身を投げる人間の姿とは到底思えなかった。 

 僕は家へと帰る電車が運行再開するのを、非道な両親の後ろで待った。 

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