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#11 over the sky

 死後の世界とはどんなものだろう。死後の世界なんて本当にあるのだろうか。
 仮に天国と地獄があるとして、彼女が行くのは恐らく地獄なんだろう。そしてもれなく僕も行く先は地獄なはずだ。天国よりは退屈しない楽しい場所だとは思うので、地獄行きで文句はない。だが、天国だとか地獄だとか、どうも僕には正直ピンと来ない。

 死んでしまったら肉体は焼かれてなくなる。そしてその人の精神は残された人間の中でしか補完が出来ない。補完してくれる人間がいるだけまだマシだが、完全なるその人自身の精神は何処にも宿ることは出来ない。
 自殺をした人間が成仏できないという迷信は有名だが、このサイトを使っているこの世にうんざりしているような人間の精神が、死して尚この世に漂い続けるなんて考えると不憫でならない。怨霊だとか幽霊が居ないとは思わないが、そうまでしてもこの世を彷徨うなんて。
『死』=『個人のアイデンティティが無くなる』と考えている僕にとって"死"とは"存在の消滅"に近い。
 僕は生きることに固執した人間だ。
 死んでしまったら一体誰が僕に関心を向けてくれる…?愛を与えてくれる…?
 もっともっと"愛"というものを知りたい。
 そんな僕にとって、"死"は最も避けるべきことである。故に死にたい人間が、何故自己を失くしてまで死にたいのか理解しがたい。
 自分を痛めつけてきた人間に復讐はしたくないのか?誰よりも幸せになって、愛を感じて、見返してやろうとは思わないのか?自分が死んだらそいつらはどう思う。死んだことを喜ばれるくらいなら、そいつらが苦しんで死ぬ様を見てやろうとは、死ぬ気で生きてやろうとは思わないのだろうか。
 僕が今一番探し求めたいのはその"自己を失くしても良いと思えるほどの不幸感"というものだ。それは一体どんな気持ちなのか。
 自己を失くすことで『解放される』と言う者がこのサイトの利用者には多い。僕にとってはそう思える事さえも幸せな事のように感じてしまうので、ある意味僕の脳内はイかれたお花畑なんだろう。それでも常日頃僕が見ているのは灰色の世界なのだが。
 僕の見るその景色が本当に色を失くしてしまったのではない。鮮明すぎる程に色とりどりで、愛を知らない僕の目には余りに煌びやかな物過ぎるのだ。目を背ける他、世の中を見る方法がないだけだ。

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「湊太さんって、自分の名前好きですか?」
 残暑もまだ厳しいある夜。まるで外に出ない僕たちが外界の暑さをそろそろ忘れかけていたころ。すっかり僕の家を我が物顔で使っている彼女が、作業をしていた僕の顔の横からひょっこりと画面を覗き込んでは不意にそう聞いてきた。
「名前…?うーん、大して思い入れはないなぁ」
「そうですか…それもそれで寂しいですね…」
「余計なお世話だ。名前なんて付いているだけ何でもいいだろ」
 心なしか語気が強まる。そんなに眉を顰めて言わなくたっていいではないか。
「私はとても嫌いなんです。紫(ゆかり)って名前。」
「どうして?綺麗な名前じゃないか」
「"紫"と呼ばれる時の記憶に良い思い出がないんです。大体両親に怒鳴られてる時でしたから」
「なるほどね。そう考えると、僕にはそんな記憶すら無いなあ…」
 苦笑を浮かべながら名前を呼んでもらえるだけまだマシではないかと一人心の中で呟く。名前なんてあってもなくても変わらぬほど、僕にはそれに対する概念も記憶も持ち合わせていなかった。
 こんな小娘の一言で多少なりとも苛つくなんて…一体いつまで自分が一番かわいい存在のままなのだろう…。自ら『愛とは何か』と探し求める癖にほんの些細なことで傷付いてしまう。またこんなことで己の愛の知らなさを実感するのかと落胆する。
「それなら今後私がたくさん呼んであげるとしましょう。ね、"湊太さん"」
「やめてくれ、気色悪い…。そんなタイプじゃないだろう」
「何でですか?いいじゃないですか、羨ましそうな顔してましたよ?」
「呼ばなくていいから!」
 彼女の鋭さがたまに嫌になる。そんなことまで見抜かなくていいのに、余計なことを。
「名前って不思議ですよね」
「と言うと?」
「名前だけで勝手にイメージが先行するじゃないですか。おかしいと思いません?名前を聞いただけで性格の善し悪しや頭の良さを判断するなんて」
「言われてみれば…。確かに名前でどんな人間か想像するな」
「それに、私の場合ネット上では"百合"と名乗ることで"紫"とは違う私になれるんです。もう一人の"私"を作れる。どれも"私"ですけどね」
 彼女はたまに突拍子もない話しをしだす。哲学的な取り留めのないものばかりで、粗方一人で一方的に話しては満足して終わる。それがほろほろと紡がれてゆく言葉であるが故に、それを聞かされている僕は一々胸を抉られる。悪気のない彼女の言葉は、僕の知り得なかった"愛"という毒になって、突き刺さっては肺腑の奥まで身体中をかけ巡るのだった。
「湊太さんも何か違う名前考えましょうよ」
「考えたところで僕には使いどころがない。それにそんなにすぐ思いつくものとは思えない」
彼女は僕の言葉をまるっきりスルーして、唸りながら紙とペンを引っ張り出してきた。
「湊太ってローマ字にしてもあんまり変わらないですね…」
ああでもないこうでもないと、様々なパターンを書き出してみているようだ。
「母音が全部"A"だからな」
「田中さんにはなれますよ」
「却下」
「じゃあ、高菜」
「…おい、もっとまともな名前はないのか」
「だって。難しいんですよ。苗字を入れても難しいです…」
 苗字の榊でさえほぼ母音が"A"。変えるには限界がある。昔からあだ名がないのもそのせいだった。
「これだけ"A"ばかりだと英語にもしづらいですね」
「だからいいって。名前はあるんだしもうそれでいい」
「つまらないではないですか…」
「いいんだ。湊太は湊太で気に入ってはいるんだ」
「へえ、そうなんですね。どの辺が気に入ってるんですか?」
「彼方」
「え?」
「over the sky.空の彼方とか言うだろう?そう言うこと」
 彼女は少し思考して閃いたという顔をした。
「ああ!そういうことですか!あなたの今している業務にぴったりじゃないですか」
「だろう?だから気に入ってるんだ。僕もいつか満足して空の彼方に行くんだ」
「へえ。でもあなたは行けませんよ。空の彼方には」
「どうしてさ」
「あなたの向かう先のこと、忘れてしまったんですか?」
「ああ…そうか…そうだったな…」
「あなたが行くのは空の彼方ではなくて、地の果てでしょうね。それも地獄があればの話ですけど」
「あると思うか?天国と地獄」
「さあ。死んでみないと分かりません。分かったらサイトのDMに送ってあげますね」
「僕のパソコンにいらないバグを起さないでくれ」
「あれ、もしかして怖いんですか?こんな業務しておきながら?」
「それとこれとは別だろ!」

 こうして僕の名前に対する想いはまた一つ崩れ去っていった。

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