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#8 榊 湊太

 僕の家は特別幸せな家庭でもなく、特別不幸せな家庭でもなかった。
 何不自由無い私生活。何の変哲も無い学生生活。過ぎゆく平穏な日々。
 僕にはそれが"普通"なことで、みんなどこも僕と同じなんだと思っていた。
 しかし、どこかいつも煮え切らない何かが僕の中に渦巻いていた。幸せなはずの毎日なのに、何故か幸福感が得られない。
 あの日が来るまで、僕は全くもってその理由に気付かなかった。

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 僕が高校2年生だったある日。入学から一番仲良くしていた友人である男子学生が突然パタリと学校に来なくなった。
 初めは風邪でも引いたのだろうと気にも留めていなかったのだが、一週間、一ヶ月、三ヶ月、半年と時が過ぎていき、全く姿を見せる気配がしなくなっていよいよ僕は心配になった。
 欠席している間、彼が持っているはずの携帯に何度か連絡を入れても一向に返事が来る様子もないので、ある時僕はそう言えばこんなに仲良くしていたのにまるで行ったことのない彼の自宅へと放課後向かった。家の場所はメールアドレスを聞いた時に一緒に彼に教えてもらっていて、携帯の連絡先に入力されていた。今時住所まで教えてくるのも珍しいなとその時は大して気にもしていなかったが、こんな時に役に立つとは。

 初めて訪れた彼の家。何処か物々しい雰囲気が漂っていた。
 彼の自宅チャイムを押した。
 ……返事がない。
 無の時間が流れる。
 もう一度チャイムを押そうと手を伸ばした時、「はい」と突然母親だと思われる女性が通話口に出た。
 不意な音声に驚いて一歩飛び退いたが、気を取り直して彼はどうしているのかと訊ねた。すると母親らしき女性は「体調が悪くて寝込んでいる」「来てくれた事はきちんと伝えておく」とだけ早口に告げ、早々に通話状態を解除した。
 相当深刻な病にかかりでもしたのだろうか…。そう思いつつ、どこか引っかかるものを感じながら、その日の僕は自宅へと帰った。

 それから間もなくして緊急に学年集会が開かれ、その会にて彼の死は告げられた。
 それと同時に、家庭での暴力やネグレクトはないか、校内で徹底的に調べ上げられることになった。
 彼の死因は自室での首吊りによる自殺だった。あの時の違和感が嫌に腑に落ちた。きっと彼の死の主な原因はあの女だったに違いない。
 彼の遺書には『僕は誰からも必要とされない人間なので、この世を去ります。さようなら。』と書かれていたそうだ。
 助けを求める手段になりそうなものは全て排除・没収されていたらしい。いくら僕がメールしようと返ってこなかったのはそのせいだった。
 大切な友人が亡くなった。
 それは僕にとって初めての経験であった。
 僕は彼が死んだことを数日間悲しんだ後(のち)に、何故か彼のことを羨ましく思う気持ちでいっぱいになって仕方がなかった。しばらくその羨望感がどういった所為で沸き起こるのかが分からなかったが、自宅で家族と夕食を摂っている時にその原因が分かった。
 自殺に追い込まれる程の、ある種、"強い愛情"を親から彼が向けてもらえていたことに激しく嫉妬心が湧いているんだ、と分かったのだ。
 僕には、両親から強い愛情や関心を与えてもらった記憶がなかった。それがたとえ良いものでなかったとしても。
 それ程のものを受けていた彼が心底恨めしく思った。正しくそれが僕の嫉妬心の火種だった。

 その日を境に僕の"普通"は覆されてしまった。
 過保護なまでに愛されているアイツも、DVをされているアイツでさえも、目障りで仕方がない。
 愛されている奴を見るのも腹が立つのだが、中でも僕はDVやネグレクトを受けている人間を何故か異様なまでに羨んだ。そして自分の親に対する失望感だけが募っていった。

〔ネグレクト〕の定義として
1.無視すること・怠ること。
2.養育すべき者が食事や衣服等の世話を怠り、放置すること。育児放棄。

とあるが、我が家はこの定義とされるものはなかった。
 お弁当は毎日あったし、晩御飯も毎日あった。たまのある日に母の体調不良でコンビニ弁当、なんて日もあったりしたが、既に僕の分は用意されていた。住むところも寝るところにも困らない。清潔さも保たれている。
 母は毎日家事をこなしながらもパートもしていた。父は平日は仕事に勤しみ、無断欠勤や遅刻をしない真面目な人間だった。

 ただ…。

 ただ、父も母も"僕"という存在に"無関心"なのだ。
 僕は彼の死をもって気付いてしまった。
 僕が怪我をしてもどうしたのかと聞かれたこともなければ、処置をしてもらったこともないことを。
 テストの点数や成績が良かろうが悪かろうが、見せてくれとも言われないし、自ら見せたところで「へぇ」の一言で終わることを。
 部活動で表彰されたとしても何の反応もないことを。
 僕は両親にとって居ても居なくても変わらない、どうでもいい存在なのだ。

 いつしか僕は自宅に帰らなくなっていった。学校が終われば飲食店でバイトをして、夜間の仕事もして、年齢を偽っても何も詮索されないような適当な営業をしているカプセルホテルや、ネットカフェに泊まったりした。
 幸運なことか、不運なことか、一ヶ月経とうとも僕の捜索願は出されなかった。
 自分が無の存在であることを聢と示されて、僕はもう二度と両親の元には戻らないと決めた。
 何度狭い空間で一人涙を流しただろう。
 泣いてもどうしようもないことが、余計に虚しさと悲しさを強調した。
 憎らしかった。DVを受けている人間が。可哀想にと周りに思われていることが。
 僕より…僕なんかより…数倍も親からの愛情を受けているのに…!悲劇のヒロインぶっている奴らが憎くて憎くて仕方がない。何故僕は愛されなかったのか。僕が一体何をしたというのか。いや、むしろ何もしなさすぎたのだろうか。
 僕は…僕は……愛されることが許されないのか………………

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 嫌な夢を見た…ここ最近は見ていなかったのに、どうしたのだろう。
 大嫌いな昔の夢。これほどまでに鮮明な夢をこれ以外に見たことはない。
 ゆっくりと上体を起こす。
 どうやら食後に彼女を寝かしつけ、様子を見ているうちにベッドに突っ伏して僕も寝てしまっていたらしい。
 持ち上げた頭はズキズキと痛み、曲げ続けられていた腕や脚は痺れて気持ちが悪かった。
 目の前には寝息をたてて眠る彼女が居る。彼女も僕の憎んできた奴らと同じだと思うと、心なしか彼女への憎悪がじわりじわりと湧いてきた。
 しかし、この憎しみこそ今の僕の持ち得る唯一の生き甲斐なのだ。これを無くしては僕の存在する意味は本当に消え去ってしまう。
 僕は、僕の"憎しみ"を労ってやらなければならない。そう思うようにして今まで生きてきた。
 僕の真髄とも言えようこの感情の塊はきっと呪いのようなもので、自分でこの方法でしか解消出来ないと決めてしまったからには、永遠に憎しみの対象である彼女らと接触し、己が朽ちるまでその思考の理解が出来ないとしても、彼女らの悲観的思考を分析していくことが僕の義務なのだ。
 僕は、歪んだ愛を与えられた者達を通してその人間の感情に寄り添い、思考することで、初めて僕が与えられなかった愛を知ることが出来る。

 関わった人間が死ぬのはこんな僕でも辛い。それでもやはり悲しみの後にこの羨望感と憎悪はやってくる。

 彼女が死ぬ時、僕は彼女をどう思い、どう分析するのか。
 今一番の僕の生き甲斐は彼女の死に様を見ることなのだ。

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