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#3 幻覚と現実

 僕はパソコン画面を見つめたまま、何を言われたのか数秒考えた。
「…本当に君なのか?」
「ええ、私も驚いていますが、間違いなく私です」
 彼女はゆらゆらとテーブルまで戻り座るとグラスのお茶を一口飲んだ。
 お互い、頭の中がこんがらがっているらしい。
「僕の知る『鵜木坂 百合』は、あまり外に出ないと言っていたが?それに内向的だと」
「そうです。内向的で外出も好きではありません。何か用がなければずっと家に籠っています」
「では、この3日間はたまたま用があったという訳だ」
「少なからず後の2日間はあなたが外出の理由ですがね」
 彼女は皮肉たっぷりな言い方を僕に浴びせた。相当外出が嫌いなようだ。確かに彼女は他の同年代の子よりも細く、肌も白い。その見た目は健康的な痩せ方をしたものでは無いことを物語っていた。
 彼女と同様に僕もあまり外に出ないタイプではあるが、その僕でも、少し力を込めればいとも簡単にぽきりといってしまいそうである。
「それは置いておくとして…この『鵜木坂 百合』が君だという証拠は何かあるのか?」
「その名前です」
「名前?」
「よくある手法ですよ。『能崎 紫』をローマ字に置き換えて、並べ替えただけです。何も捻りはありません」
 僕はパソコンのメモに『nouzaki yukari』と打ち込んでみた。
「ああ…本当だ、『unokizaka yuri』になる。漢字のイメージとは怖いものだな。まるで別人だ」
 人間の脳味噌は単純なもので、“能崎 紫”と“鵜木坂 百合”が同じ人物だとは誰も思わないであろう。文字のもたらす印象は絶大なのだなと一人感慨に耽った。
「それだけでは信用ならないと言うのであれば、今は手持ちに無いですが、私のノートパソコンのログを見れば確実です。誰かが私のパスワードを知らない限り、貴方との個人的なやり取りは出来ないはずですから」
「そこまで疑ってはいないさ。このサイトは同じ名前で登録出来ないようになっているからね」
 僕とは反対の方を向いていた彼女は、信用してもらえたことに少し安堵したのか横顔からはその様子が伺えた。
 少しして彼女が軽い溜息を吐いた。
「私も、『湊太』と聞いて少し勘繰るべきでした…3年も前から知っている名前だったのに…」
「まさか僕らが直接出会うなんてね」
「とりあえず、今後私たちの関係が続いたとしてもあと半年くらいで終わりますから。それにどの道、私が死ぬその日に会うことは決まっていたことです」 

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『kanataさん、こんばんは。今日は巣立ちの相談に来ました』 

『鵜木坂さん、こんばんは。いよいよ巣立つことを決められたのですね。分かりました。いつどのように巣立つ予定ですか?』 

『今年の10月1日にしようと考えています。時間は午前4時30分。都内の駐車場の屋上にしようかと。kanataさんがご同行頂けるとお噂では聞いています』 

『分かりました。10月1日の午前4時30分ですね。こちらで準備をしておきます。はい、私がご同行させて頂きます。何か残しておきたいもの、して欲しいこと等ありましたら私がその後のことはさせて頂きます』 

『なるほど。それはまた考えておくとします。まだ時間はありますから』 

『貴女が居なくなるのは寂しいものですね』 

『あら、あなたからそんな言葉が出てくるとは思いませんでした。これだけ今までたくさんの巣立ちを見てきた人間にそんな感情があっただなんて』 

『酷い言われようですね、僕も一応人間ですよ。それに貴女は僕のサイトの運営に関わる大きな存在でしたから』 

『私が消えたところで、"同じ羽の鳥たちが群れる"限り、このサイトは続いていきます。そして貴方はその巣立ちを見守り続けるのです。それが貴方の宿命でしょう』 

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 僕の脳内で『鵜木坂 百合』は完成していた。
 黒髪ロングで清楚なイメージ。
 美しい佇まい。
 目に光を宿すことなく、人をモノのように見据え、常に第三者的視点で物事を考える。
 やや強気な口調なのは自分の柔な部分を隠すためなだけで、本当は優しい心を持っている。それを誰かに傷付けられたのか、自ら閉ざしたのかは分からない。
 そして僕の部屋に居るこの"能崎 紫"こそ、僕の想像していた『鵜木坂 百合』そのものに近い。
 あの日僕が声をかけたのは、僕の中の『鵜木坂 百合』を見つけたと思ったからか。
 渋谷という弾けた人間の目立つ街で、彼女は死を身に纏っていた。今考えると、あの時既に死の宣告をしていたはずで、彼女は来る日も来る日も死へ向かって生きていたはずだ。
 僕はその死を嗅ぎ付けて声をかけたのか…。
 僕は、自分の"死"への執着心に身震いした。 

「湊太さん、私が死ぬまでの暇つぶし、宜しくお願いしますね」
 そう言って彼女は妖しく微笑んだ。

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