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なんかご機嫌な人。の解体新書

ひとには、意識があります。
意識には、無意識もあります。

意識できることは変えられるけど
無意識に考えていることにはやはり
無意識なので自覚がないですよね。

それが無意識、なんだもの。
当たり前か。


意識して望みの方を向けば
自ずと望むことが叶う訳だし。
イチローさんだって小学生の頃からプロ野球選手になると決めていた。
名実共に稀有な存在として扱われるようになったのは、相当の努力の結果。だとしても
最初は、望む方向に意識を向けたからです。

つまり。
人の意識には現実を創造するチカラがある。

では、無意識はどうなのかと。
意識と同じで無意識のうちに考えていること
現象として目の前に現れます。
そして実際にはネガティブな事として、が
多いんだな。
なぜかって人間は種の保存が本能として働くから。ネガティブな感情も自分を守るための防衛本能だと捉えられます。


よくできてますよね、人間て。
種の保存と繁栄が本能として組み込まれている。
そのために魅力的でいようとか
有能だと思われたい、という承認欲求も
プログラミングされている。

人と関わって生きていくという使命を
もれなく全員が持って
この世に生まれてくるわけです。
望む人生を生きるために、試行錯誤する。
だけど明確な答えはないのです。


ひとつ言えるのは、人間は
全て必要なものを持って生まれてきている、ということだけ。



側から見て魅力的だとか
なんかご機嫌そうに見える人にも
なんだか、望むような人生じゃないんだよな、とか
どこか不満足な時というのは、あるはずです。


だけどそういう人って
ご機嫌じゃない時の理由を知っているし
自分がご機嫌になる方法も知っている。

ここで鍵になるのが、無意識の思考です。


人間、不満足な時というのは
意識していない
無意識からの現実創造だと言えます。


しかも、長年生きてきたらきたほど
タチが悪い!(言い方)
長年考えてきたことって
意識も無意識も勢いが増しているのでね。
車に例えるなら、高速道路を走るような速度です。
時速80キロオーバー。速すぎでしょ。


この世に生まれたばかりの赤ん坊が
ゆっくりと動くベビーカーだとしたら、
わたしのようなアラフィフなら新幹線の類かもしれない。(時速何キロよ?!)


何が言いたいかって
意思とか意識とかとは別のところで
長年の思考の勢いは止めることが難しいのが事実。生きてきた分の重み、とも言えるし
重荷、とも言えますかね。ははは。
だけど、重荷ならいつでも外せますからね。
安心しましょ


新幹線て急には止まれないですよね。
止まろうとしたらひっくりかえる?
やったことないし見たことない。危ないし想像するだけで怖い。

何年か前の名探偵コナンでリニアモーターカーが
急停止しようとする映画があった。
宙を飛んで車体がグニャッと鉛の塊になったリニアモーターカーに乗っていたコナンくんは
大怪我することもなく生きてて少し笑った


話が逸れてしまいました。
良い思考の勢いも加速する代わりに
ネガティブな思考も加速するのですね。
思考を持つ人間の抗えない法則です。


よく、体調なんかが良くない時に
ふと考えることって
大抵あんまり良くないことです。
それって無意識だし
一度考え出したら止まらなくなりますよね。

ありもしないことを考えては頭がいっぱいになり
不安になる。
わたしも、不安星人でしたからね。
今もメンタルが落ちることはあります。
だけど意識や思考を学んで視点を変えたことで
回復が早くなった実感はあります。



現実を創造するのは
意図する→意図したことに意識を向ける→行動→現実
という順番です。
創造の始まりは間違いなくわたしたちの意識です。


自分の意図ではなく、
現実に不満を感じる時は
無意識な事を明確にする必要があります。
理由は、無意識だから。
現実を変えるため、ではなく
自分の望む人生にするためにね。

小難しく考えずにまずは
無意識のうちに湧いてくる感情を
言語化するのがポイントです。


無意識に考えていることがわかりやすいのが、
実は感情です。
怒り、悲しみ、憂鬱、不安や恐れなどは
わかりやすいけど、誰でも避けたいですよね。

ここでは
ネガティブは悪でポジティブは善、
みたいな話じゃなくて、
感情はただの指標として捉えます。


前向きな姿勢や前向きな言葉は良くて
ネガティブな思いや言葉はダメにしがち。
だけど
ネガティブこそに無意識が現れますので。

人に嫌われたらダメ、
人の為にならないといけない、とか。
無意識に考えていることも普段の行動に現れます。

思考が現実化する、というのは
意識した思考を望む方に向けるか、
無意識な思考を無意識に望まない方向に向けるか、
です。結果は違うように見えても同じこと。


たくさん出てきます?
そりゃそうよ、昭和世代だもの。
道徳の一環としてかこつけて
美徳を強制されたようなものだもの。

無意識の思考は生きてきた中で
親や先生、他の人などからの刷り込みなんかも
含まれます。
自分の考えではないものも入ります。

悪気はないものの価値観の押し付けと同じ。
日本人として、こうあるべき、とか。
本来は、自由なはず。どんな国に生まれようとね。

〜らしく、なんて決めつけるのは
昭和世代女子に強制されたブルマーみたいに
可笑しな風潮です。


あー。もういい歳した人間が何言ってんだろー。
いい歳ってどんな歳?って思うけど
わたしだってこんなの望んでないわい!!怒
と自虐独断劇場が始まったときこそ、
チャンスですよ?

まだ、火種が残っている限り、
いつでも発火準備はできているのと同じですから。
つまり、いつまでも同じことを繰り返します。
やめたいなら、パターンを変えるだけでしょ?


沸々と煮えたぎるお湯の扱いに困っている、
どうしようか、火を弱める?


無理矢理火を消そうとして
気を逸らしたり
別のことをしてみたりしないで
きれいにまとめずにそのまんまを言語化します。


気を逸らしたり、別のことに目を向けると
ずっと無視されていた子供みたいに、
ねー、ねー、ねーーー!!聞いて!!!!!
次第に声が大きくなって
ある日突然、扱いきれない怪物のように
現れるのがわたしのいつものパターンでしたから。


瞑想したり、潜在意識を書き換えをしようとしたり。瞑想は思考を止めるのにはとても有効だけど
潜在意識の書き換えなんて
しようとするだけ無駄でした。
(わたしの場合は、なのでくれぐれも)

だから小さな子に話を聞くように
自分に聞いて
その時はどうだったの?
どう感じたの?
うん、うん、嫌だねぇ、そうだねぇ。と
否定したりせず、ただ聞きます。
ノートも後から読み返したりもしない、
書く理由はただ、記憶だけだと頭の中でぐるぐるするだけなので
書くことで明確にします。

ネガティブをノートに書くのは良くないっていう考えもあるけど
わたしはなんでもまずは自分でやってみて試したらいいという考え。

自分に合うこと探してやってみたら
一番合う方法が見つかるはず。
誰かや何かのメソッドじゃなくて
自分に聞くんです。

わたしはこれで、随分と気持ちが楽になりました。
なんとなくな不安や漠然とした生きづらさを抱えていたことも今ではあまり気にならなくなりましたね。

現実は変わってないように思えても
気持ちの面では雲泥の差です。
同じようにノートに書いて破る、も過去やってみた結果油に火を注ぐようなものだったし
あ。間違えた。火に油を注ぐ、ね。
よく、ネタで大炎上してるやつ。

その理由もわかったら、間違いとかではなく
全ての過程も含めて良しになります。

不思議なのがノートに自分の感情もその時の考えも
書いていくうちに、
破る必要がないことが腑に落ちます。


だってどれもこれも、大切な自分の感情じゃない?
無くさなくていい、消さなくていいんだと。

一緒にいてもいいよ、って認めたら
自然と緩まって、凝り固まっていた思考がほぐれていくのを感じます。

本当は仲良くしたいのに、上手く言えなくて
プイッてしてる子も、「一緒に遊ばない?」って声をかけたら嬉しそうだった、に似てるかも。
そういう子、居ませんでした?
これは小学生のわたしか。めんこいやつ。


やり方云々より。
その人の「思考の勢い」によって変わると思うから、長年、無意識の思考が望むことを邪魔していたり同じパターンを繰り返している場合や
もういい加減変えたいんだよな、って時は
やっぱり、ノートに書く、言語化が
一番かな、と個人的には思います。


無意識にしていること、は
無意識の考えからきているし
それは誰にでもあてはまります。

だけど、同じ条件でもご機嫌そうに
現実創造を楽しんでいるように見える人は
自分の等身大を否定していないだけです。

自分に甘くていいじゃないですか。
どうしても自分を否定しちゃう人は
否定しちゃう自分にもまず優しくすることから
始めましょうよ。

どんな方法でもいいと思うんです。
自分を否定するのを止めるなら。
だって、自分に優しくできたら
優しくしようとかしなくても勝手に人にも優しさが伝わっちゃうんですから。


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