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今日の本棚 : 御所ことば

女官。
魅惑的な響きだと思うのは私だけでしょうか(笑)

「大正女官、宮中語り」山口幸洋著
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昭和の50年代には、大正天皇付きの女官だった人がまだ存命で、この本は「椿の局」と呼ばれたその女性の聞き取り調査をもとに著されたものです。
(原題「椿の局の記」2000年、復刊時に改題)

大正時代は1912年から1926年までなので、ちょうど今から100年前ですね。

「ちょうちはい、こっちござれ」
「はしぢかへ出ましゃるもんじゃございません」
「ならせられませ」

本を読んでいるとこんな感じの言葉が出てきて、皇居が東京に移ってから半世紀が経っていても、まだまだ宮中では京都弁が話されていたことが分かって興味深いです。完全な京都弁ではなくて、東京弁と混ざっているかもしれないですし、宮中独特の言葉づかいも多いのだろうと思いますが。

女官たちは椿、小菊、花松、呉竹…と雅な源氏名で呼ばれ、京都弁が話されていて、ご大典などの折には十二単で盛装し…
想像するだに、おとぎ話の世界のようです。
(実際にはかなり労働時間が長いうえに気遣いも並大抵ではなく、過酷な職場だと思います)

ところで、大正天皇といえば病弱だったことや遠眼鏡事件などで、あまりよいイメージがなかったのですが、本当のところはどうだったのだろう… と思いました。

漢詩を得意とされていたことはよく聞きますが、この本で椿の局は
「貞明皇后さまがおつむがすごくおよろしいのに、大正のお上はまたもうひとつ、それにしんにゅうをかけたほどお賢かった」
「あんまりおつむさんがよくって、(そのために)お体がお弱くあらしゃったんでしょうと思いますよ。伴わないもんでね、おみ体が」
と言っているのです。

自分の仕えた天皇のことだから、庇うような気持ちがあってそう言っているのかもしれない。
ですが、多分そんなことではなく、本当のことではないか… と思えました。

何の本でだったか、皇太后となられた貞明皇后は、毎日午前中は大正天皇の御霊に奉仕し、遺影に語りかけていた、と読んだ記憶があります。
精神的に問題があったような夫をそのように手厚く弔い続けられることが不思議でしたし、そもそもそんな相手と子どもを4人も儲けたりできるだろうか… と疑問に思っていました。

けれど、椿の局が言うようにとても賢い方だったとしたら。この本に記されている数々の逸話のように、お茶目な性格の優しい方だったとしたら。
自分が追いつけないほどの頭の冴えをもち、情があつく、ユーモアもある…
大正天皇がそんな人だったからこそ、貞明皇后はまるで生きている人に対するように遺影に語りかけ、慕い続けていたのでは… と思えたのです。

遠眼鏡事件もとんだ濡れ衣だということが分かりましたが、世間にはそのイメージばかりが広まってしまって、大正天皇には随分と損なことです。

とりあえず、次は大正つながりで、積読になっているバッソンピエールの回想録でも読むとしましょうか。

「ベルギー大使の見た戦前日本」
アルベール・ド・バッソンピエール
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B01KNVKD3E/ref=tmm_kin_swatch_0?ie=UTF8&qid=1671280504&sr=8-1


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