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今日の本棚 : ラーゲリからの帰還

コルィマよ、コルィマ
しき惑星ほし
十二カ月が冬で
あとは夏

帯に書かれた詩のような言葉に惹かれて買ったのですが、その後はもうずっと何年も、実家の本棚で塩漬けになっていた本です。
春先にふと気になって実家から持ち帰り、購入から実に10年以上ぶりでページをめくり始めました。が、遅々として読み進まず、ようやく6月になんとか読み終えることができました。(そしてこの記事を書いているのはもう7月も終わりという…)

長らく積ん読だったのにも、なかなか読み終えられなかったのにも訳があって、それはこの連作短編集が極東コルィマ地方のラーゲリを舞台にした作品だったからなのでした。
ただでさえ、マガダンやインディギルカ川といった、暗い連想を誘う地名が近くに散らばるコルィマの、しかもラーゲリ。
夏に読むには暗すぎ、冬に読むには陰惨すぎるのです。そして、春や秋はなんだかんだと忙しく、わざわざこの重たい話を読む気が起きず後回しに…

(どうやら絶版のようでAmazonではヒットしませんでした。代わりに、読書メーターにリンクしてみます)

作者ヴァルラーム・シャラーモフ自身もコルィマのラーゲリで20年近い歳月を送り、奇跡的に生還したのですが、この作品に描かれたラーゲリでの日常の描写を読んでいると、よく生きて戻れたな… と感慨深いものがあります。
いえ、感慨深いなど、陳腐すぎますね。とても表現しきれないです。
まっとうな人間性がいとも簡単に剥がれ落ちてしまうラーゲリ。
そこで生き残るのは、自分でなんとかしようとしてどうにかなるものではなく、偶然というか運命というか、そういうものに委ねられていました。
脱走を唆して囚人たちを陥れておきながら自分だけは清潔な身なりで十分な食事にありつく者、毎日淡々と作成してきた銃殺予定者リストにアシスタントの囚人の名前があるのを見つけてそっとその名前を取り除いた取調官、人としての温かみを保ち続け囚人に好意を示す医者…
出会った相手が自分の生死を左右するのです。
けれど、誰と出会うかは本当に、運でしかない。

原典の150篇のうち、日本語に訳出されたのは29篇。
訳者の高木美菜子さんは解題の中で「原作は緻密に構成されているのに5分の1に編集せざるを得なかった」と残念がっていますが、この暗さ、救いのなさを150話も読み通す気力は、自分にはないかもしれません。
なんといっても、フィクションに再構成されてこそいますがラーゲリの生活は「実際にあったこと」だという事実が重いです。


ところで、「コルィマ」という響きになにかひっかかるなと思っていたら、コリマ・ユカギール語の「コリマ」なんですね。
ウィキペディアを見てみたら、2010年現在でネイティブ・スピーカーはもはや10人。

17世紀には東シベリアのほぼ全域に広がっていたというコリマ・ユカギール語も、ロシア語やサハ語に圧倒されて、今ではコルィマ川の上流部に残るだけ。
ここまで話者が減って絶滅の危機に晒されている言語は、どこまで復活が可能なのでしょうか。

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