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ものの見方はひとりでは変えにくい

私のルーティンは、朝にラジオ体操第一を2セット、夜には、むかし雑誌を見て習い覚えたストレッチを3セット。
身体の動き具合は日によってまちまちで、指先までしっかり力が入る日もあれば、だるくてただ回数だけこなしている日も。
で、先日のこと、数日続いた重だるさが消えて、身体が軽々と動く感覚に満足感を味わいながらラジオ体操をしていたら。
ぴきっ。
左の腰のあたりに嫌な感覚が走りました。
痛い。じつに痛い。
その日のうちに行きつけの整骨院に電話を入れましたがすぐには予約が取れず、しばらく痛みを我慢するはめに。
腰を痛めるとなにが不便といって、屈めないことでした。
屈むには、そろりと片膝をついてから。
そしていちど屈むと、なにかにつかまらないと立ち上がれない。
いつまでこんなの感じなのかなあ、と思っているうちに、今度は左の肩がぴきっと…
上の棚にあるものを取ろうとして、ちょっと腕を上げただけなのに。なのにナゼ。

ようやく整骨院に行けた時には、腰も肩も痛みはなくなっていましたが、先生に症状を伝えて施術台に横になりながら、思わずぐちってしまいました。
「いやもう、ほんと油断ならないですよね」
だってそうじゃないですか。
いつものようにラジオ体操をしただけ、なにげなく腕を伸ばしただけ。
それなのにこんなふうに身体を痛めてしまうなんて、年のせい? これではふだんの動作もうかつにできないじゃないの… とじめじめした気持ちだったのです。
ところが先生は穏やかに笑って
「身体の左半分がちゃんと動くようになってきたからですね」
とおっしゃったのでした。
私は中学生の頃から側湾症で、右の背中ががっちりと固まっています。生活にはなんの支障もないですが、ぱんぱんに張った背中の違和感はなんとも気持ちの悪いものです。
それが施術で少しずつ身体の右側が緩んできて、結果として身体の左側もこれまでとは違った形で動くようになってきた。いつもと同じ動作なのに痛みが出るのも、身体がちゃんと動くようになってきたのと関係がある、ということのようです。

痛みだけに着目してしまうと、それはただの辛いこと悲しいことになってしまいますが、もう少し視点を引けば、痛みの裏にある原因ー好転しつつある身体が見えてくる。
人と話すことの面白みは、こういうところにあるのかもしれないですね。
中学・高校の頃からの年季の入ったネガティブ思考の癖はなかなか自分ひとりではどうにもできないのですが、誰かとちょっと会話することで別な見方が差し出され、自分のものの見方、考え方を変えていくことができる。
なんだかとても嬉しい気分になったのでした。

先生の言葉に安心して体操やストレッチを続けていますが、でも調子に乗りすぎてまたぴきっとしないように、気をつける毎日です。

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